疫病の次に来るだろうもの。

だいたい、社会危機になる物事は、みんなが油断している事柄、みんながまったく危機感を覚えていない何かなのです。
警戒心を持って、コトに挑んでいるうちは、社会崩壊するほどの現象として表に出てこないものだったりもします。
だから、芽が芽生えているうちに、摘み取ることが大切です。
とはいえ、それは、コロナ禍のような、すでに表に出ている問題ではなく、今は特に問題視されておらず、意識もされておらず、すでに克服したと思っているところにあります。
故に、今、コロナが怖いからと感染者を必要以上に遠ざて傷つけたり、逆に自分だけは大丈夫だと思い込んで、なんの対策もせずに遊び呆けたり、といった態度は問題ですが、小さな子どもからお年寄りまでカンタンにできて気楽に続けれる程度の負担のかからない対策を怠らないようにすれば、あとはそれぞれ好きなように生きていたとしても、なんとかなるものなんです。
だから、ほどほどの中庸を保ってさえいれば、実際は、大きなことにはならずに済むのです。つまり、必要以上に怖がる必要はないです。
ただ、過去の歴史上に記録された、数々の種類の社会危機たちは、今もいつ表に現れるか、誰にもわからないものなのです。
だからこそ、歴史に学ぶ必要があります。
失敗というものは、だいたいパターンが決まっております。
失敗例や失敗談を知り、対策をねって、事前準備しておくことで、明日に備えておくということは、日本の多くの人にとって、得意分野だと思われるので、それを生かさない手はないのです。

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