一旦やめる勇気。

今後一切やらない。宣言して全部やめてみても、本当に好きなことは、また機会がきたら舞い戻るんだ。それがスキ。

私は、一旦ネット世界から離れたこともありますし、今もリアル世界中心生活を心がけています。

リアル世界生活をきちんとこなさないと、パートナーから理解が得られないからです。私の今のパートナーは、私のことや私のやりたいことや私の好きなことを理解してくれているのかと問われたら微妙なところもあるのですが、パートナーと暮らしている今は、パートナーからの理解を得る努力をする必要がありますからね。

一旦やめてみて、リアル生活に注力するのも大事なことだったりします。リアルな生身の人間が暮らして創作活動するのですから、リアルで生活を成り立たせながら創作活動をするほうがいいです。

両立が一人では出来ない人ならば、やはり協力者が必要です。ひととおり出来ても、協力者は必要です。協力者集めは、リアル世界で行う方がよいのです。
小さな協力しか出来ないネット上のファンやちょっと買ってくれるお客さまよりも生身の友達、生身の友達よりも生身の親戚、生身の親戚よりも生身の近親者、生身の近親者よりも生身の配偶者、生身のパートナーです。
もちろん、みんな大事なんですが、生身の人間をかるんじて活動は出来ません。

生身の配偶者、言い換えたら生身のパートナー。パートナーシップがあるかないかこそが、創作活動を続けていられるか、やめてしまうかの鍵になります。キレても、怒っても、発狂しても、泣いても、怒鳴っても、悪口陰口言われても、どんな私でも受け入れてくれるパートナー。
夢のようですよね。諦めたくなる確率ですよね。でも、生きている間に名声を得て成功したクリエイターには、かならず献身的なパートナーが陰に存在するのです。
自分が死んでから認められたクリエイターには、このパートナーシップが欠けているケースが多いです。
そこまで尽くす、片想いでも尽くす、そんな愛を受けてはじめて、クリエイターはプロとして思いきった創作活動が出来るというものだからです。片想いをずっと続けさせたら、さすがに相手が疲弊してしまいますから、受け取った後は、相手に自分なりに出来るお返しをする必要があります。それがクリエイターの甲斐性ですね。

だから、現実世界で、絶対理解してくれるパートナーを得てからでないと、その創作活動は、必ずつまづき、転び、撤退を余儀なくされます。あるいは死にます。しかし、死にさえしなければ、必ず新たなパートナーはさがしだせます。ピカソだって、パートナーをコロコロかえていたんですからね。

プロは有名にならなければ食べていけません。

世の中のニーズにこたえてつくるっていうデザイン創作の世界で生きるにしても、自分の好きなことややりたいことを周りに認めさせるアート創作の世界で生きるにしても、ある程度の知名度がないといけません。

ある程度の知名度を、得るためには、時には批判中傷覚悟の炎上も必要です。
ある程度の知名度を得るためには、自分で自分を宣伝して回る必要もあります。しかし、自分一人では宣伝力には限界があります。InstagramやFacebook、ツィッターに世の中に転がるありとあらゆるSNSを駆使してみても、人気を博せ、自分のブログだけで儲かって食べていける人はごく一握りです。
プロとして仕事一本で集中出来る環境の人ですら限界があるのに、私みたいな、子育てしながらや家事しながら、介護しながらの創作活動を行う人間は、もっと出来ないことが増えてしまいます。
そうなると、今は今出来ることに注力して、今出来ないことは、周りにお願いするしかないです。

芸術そのものの才能じゃないんです。パートナーシップを得られるかどうかなんです。
このパートナーシップは、リアル世界でしか手に入りません。出会い自体はネットだとしても、オフ会等で生身の相手に会いに行かなければ、パートナーにはなれません。パートナーの性別は異性でなくてもいいし、同性でもいいし、年の差が親子ほど離れていてもかまいません。パートナーの関係性だって、配偶者であることにこだわる必要はありません。人によっては、実の兄弟姉妹がパートナーの役割を果たす人もいるでしょうし、父母がパートナーの役割を果たす人もいますし、祖父母の場合もあれば、友達がパートナーの場合もあります。
パートナーの役割を果たせる友達のことを、親友と呼びます。だから親友は簡単には出来ません。パートナーとしての役割を果たす必要があるのですから、親友は自立した人同士でないと出来ません

ですから、親友は、居なくて当たり前の存在です。

たった一人でも、親友が居てくださるなら、本当にありがたい存在です。しかし、親友は、相手がどんな逆境でも、どんな逆境を用意する人物に化けてみえても、相手の言い分を信じて、一つひとつ理由や真実を検証出来る力がないとダメです。理由や真実を検証する力がない人には、友達は出来ても親友は出来ません。

生身の交流がないと、あなたが風邪をひいたと聞いても、お粥は届けられません。もちろん私にも都合があるので、皆さんに、ずっと適切なタイミングでお粥を届けられるわけではないですが、私に近しい人であればあるほど、お粥はすぐに届きます。

私は、皆さんにお粥を届けていきたいものの、お粥の届け方がわからなかったりします。
しかし、出会った人達全てにお粥を配りたいというのは常に思ってはいます。

人格攻撃や炎上、歓心引き込み作戦を仕掛けると、他の誰でもない私自身が傷付きます。なるべくなら、傷付きたくないし、傷付けたくはないのですが、人間生きていると、傷付けあうこと自体が避けられません。なので、パートナーが必要です。

最近、コラボ企画が流行っていますね。

コラボしようとしたら、生身のクリエイター同士が話し合わなければ、コラボなんて出来ません。

私は、こういうことなら出来ますが、これは出来ません。あるいはこう思いますが、あなたはどう思いますか?

そういった会話から、コラボ企画の核心が出来上がり、広がっていきます。

どんな天才でも、人は一人では生きていけません。どんな天才でも、一人では創作する活動に限界が訪れます。

だからこそ、自分を支えてくれる人は本当に貴重ですし、お金を出す人達はもっと貴重な人達です

しかし、お金を出したくても出せない層に向けて芸術作品を創造してみても、彼らは、いいねやスキやコメントは出来ても、シェアや拡散は出来ても、お金そのものを出せません。無い袖はふれないからです。

しかし、生身の交流は、違います。

お金を出せない人達でも、生活を支えあえてしまうのが生身の交流であり、互いに創作のネタを交換出来てしまうのが生身の交流です。気持ちが挫けた時も癒せてしまうのが生身の交流です。

だから、トキワ荘というアパートは、今でも伝説の語り種なんです。

トキワ荘に、当時の最先端のクリエイターたちが集まり、時に議論し、時に互いの創作の手伝いをしあい、時に慰めあった日々が彼らの創作力を凡人レベルから天才レベルに、天才レベルから鬼才、奇才レベルへとレベルアップさせていったのです。

そして、どんなに小さな縁のファンでも、大事な縁ですよ!

どこからパートナーシップが育つか、わからないからです。

フォローしてみて、フォローバックがきたらフォロー外してしまう人がいるらしいですね。


そうするのは、あなた方の自由ですが、私はあえて予言いたしましょう。
そのような方々の創作活動は、今は、盛況で儲かっていても、必ず滅びます。必ずつまづきます。必ず撤退せざるを得なくなります。

まぁ、人生生きてさえいれば、気づけばやり直せますから、失敗してみてもいいし、試してみてもよいのですが。

もし、フォローを外す必要が出てきたならば、フォローを外す基準は、まずはフォローバックも返さず、スキもコメントもせず、自分の記事すら更新してない人々です。明らかに放置してらっしゃいますからね。

スキの反対は無関心ですから。

ノートの最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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