作品の出来不出来と作者の素行やパーソナリティーは関係がない。

名作と言われる作品の作者が、とんでもない変人で、下手したら犯罪者である例は、枚挙にいとまがない。

それでも、いい作品は、名作なのだ。

作者がいくら素行の悪い人物で、万人から嫌われるタイプであったとしても、作者がいくら素晴らしい人格者で人気者であったとしても。

作品の出来不出来には、関係ない。

たとえば、槇原敏行。

彼は禁止薬物を使用した前科があるのだが……

彼の生み出した曲、たとえば「もう恋なんてしない」が、メロディといい歌詞といい、素晴らしい出来の作品だという事実は、かわらない。

多いに売れ、皆知っていて、皆に愛される曲であることも、かわらない。

もちろん、一方で、
”そうか?「もう恋なんてしない」って、そんな言うほどでもなくない?”
という人も、なかにはいる。それなりにいる。
趣味嗜好がみんな違うんだから、これも当たり前のこと。

問題は、槇原敏行が薬物で逮捕されたから、逮捕までは「もう恋なんてしない」を絶賛しておきながら、犯罪者が作った曲なんてダメな曲であると、手のひらを返す人たち。

感情や気持ちはわかるのですよ。
そら、そうもいいたくなりますよね。

しかし、それは、自分の作品鑑賞眼は、個別の作品をみていないと公言しているのと同じことなんである。

作者が素行がいいから応援したい、とか、作者の人柄にひかれたから応援したい、という視点ももちろんアリだ。

こういう視点の応援したいの場合、個別の作品の出来不出来とはあまり関係がない応援である。

もちろん、ある程度、彼らに響くクォリティの出来のいい作品が転がっていたからついたファンかもしれないが、彼らは作品単品のファンとは質が違うファンなのである。

これを常に頭にいれておきたい。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

サポート代は、わたしの子供たちの育児費用等に使われます。