5年前に買ったウェブ記事。

5年前に買ったウェブ記事を何度か読み返して検証するためにだけ、今はログインしてる、みてぇなかんじがする。
noteじゃないよ、LINE占いの本格占いの記事のほうね。
当時、火曜日は無料とかやっていたときに買った占い記事のデータが今も読めるのは、かなりの長持ちよなと思う。引き継ぎに関しては非常に優秀だなぁと。
そのへん、チャット鑑定のデータの引き継ぎは、なかなかうまくいかなくて、飛んじゃうことも多いというかなんというか。

その場で話きいてもらうっていう、フローチックな需要だからかねぇ。
ログを残すことにこだわる必要もあんまりない部分もあるのよな。
そのときに言われたことが、気になってしかたなくて、はあるのかもしれないけど。
どこまでも、聞くだけということが、あまりにも人間には向いてないというか、難しいなぁと思う。つくづくね。

長文を読みたい需要って、年々減ってるのよ。みんなが書き手になってるし、無限に文章読めるサブスクがすでにあるから。
それが、無料SNSの世界。
読んでええのよ。他人の日記帳を。
それって、ホントはクラブハウスとかですら、そうなのよ。
運営のスタイルとしては、勝手にきいててもいいわけよ。リスナーオンリーでもいいわけ。
なんかしながら会話したい人向けにつくられてる場所だったりするし、元々ね。
ってことは、スペースもそうなわけ。
あんまり勝手に来てほしくない連中は、有料化するか、知らん人きたら落とすでしょうという前提。
他人にきかしたくないなら、個人で連絡先交換して、LINEのグルチャとかグループ通話とかやっててください、という話なんでね。
住み分けていこう、っていう。

んで、そろそろLINE占いの本格占いの方、買いたい文章があるわけじゃなし、あきたし、と思いつつも、今まで買った文章読んだりするのよ。
銀座の母当たってねーって思いながらね。
十年後、たぶん、本格占いのシステムの方が消えてる可能性すらあんじゃね?と思うんだわ。
noteみたいに誰もが書き手になれるわけではなくて、ただ読むだけだとね。レビューを書いてスッキリすらなくなったし、読むだけの文章としては、私は飽きたからさ。
ログボくれるポイントだけでやりくりになっちゃうし。
トークの方は残ると思うけど。
聞いてくれる方が感謝される。
そういう時代なんだよなぁ。
知識がありがたがられるっていうたって、話のネタなので、人気があるから人気なんですよのところにかえってしまうし。

執筆活動で、いつの間にか、2000記事こえてるのは知ってるのだけど、記事の数だけは無限に増えていくし、無限に文字数も増やせれるのよ。
みんなに有益な情報を、というのだって。
ただ、それは無料でサブスクできるやん、となってきたら、時間の天井の方がきてるんだなぁと。
旬のコンテンツを今見てもらう、共有する。
これに勝るコンテンツがないのよ。
それって、ただのおしゃべりなんよ。

んで、私がこだわってしまう相手とおしゃべりできたとして。
それは、相手からしたら、ボランティアになっちゃう一面があるのだよね。
聞いてあげてくれてるという。
もう、ボチボチ、こっちの提供するメリットってやつが薄くなっていく年だからというのもあるけど、そんだけの価値の差を感じるから、こだわるというのも一面としてはあるし。
こだわりがふっとんでしまったら、マジで無限に話の聞き手もいるし、ホンマにありがたいことに出会える場所もあるし、ただ、こだわりがぬけないだけだったりするのだよね。
そのこだわりをわざとつくるのが営業のコツなんかもしれんけど、正直、そういうスタイル苦しくね?って思う。
水商売すら、キラキラアイドルスタイルに変化してきてるのも、IT革命がもたらした変化なんよね。
こだわりの気持ちそのものが苦しいから、人間そのものが大量にいてることが見えてきちゃったから。
肉のないbotの違和感は、結局のところは、話きいてねーよな感という、流行りの旬の文化に影響されてないところにあるし、そのうちそれも改善されちゃうかもしれない。
肉入りの感覚って、影響されちゃうことがかわいいのかもしんないなって。
話しかけると、影響されてる。
これが良いのかもしれへんな。

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