見出し画像

ゆとり世代が実際に受けた、ゆとり教育の記憶ログ。

メディアは、常にウソつきだといっても、差し支えないほどウソにあふれている。
真実を知ったとしても、真実なのか信じることもできないというのも、また事実で、人の数だけ視点があって、人の数だけ真実があるという方がいい。
まぁ、だから、信じられんという人間も中には、いるし、たぶん理解出来ない人もいるかとは思う。
同世代においても、私はもう少しちがっていたという人もいるかとは思う。
ただ、ゆとり世代の受けた、実際のゆとり教育について、他の世代から見ると、一般的に、かなりの誤解がありそうなので、一応歴史のようなかんじで書き留めておく。

ゆとり世代が実際に受けたゆとり教育とは、なんだったのか。

一言でいえば、当時普及したての箱型のPCを与えられ(といってもPCを家に持ち帰ることはできない。学校の一部屋に一時間とか決まった時間だけしか、いじれない上に、インターネットを使える範囲を制限されていたりもする)、まっさらなメモ用紙とペンを与えられ、教師からあなたが知りたいことがあるなら、目の前の機械と紙とペンをつかって、ググれカスと言われただけの教育である。
まぁ、実際には、もう少し言葉はキレイだ。
自習だとか自主学習だとか調べ学習といった言葉を使われた。
要約すりゃ、ググれカスだ。
当時の教師とて、上からそうしなさいと言われたから困惑しながら、そう言わざるを得なかっただけであり、当時の教育責任者なんてもんはいてても逃げおおせている。だから、別にそれを責め立てるつもりもない。
ただ、事実を述べておくだけだ。

ググったら出てくる大概のことは、自分たちで調べて、自分たちで助けていきなさいという教育には、それができない人間は放置という冷たさと紙一重のものでもある。
そもそも、勉強に興味なんかない人間には、知りたいことなんて自分の内から出てくるわけがないので、自主学習用のノートは一年たっても、真っ白なまんまだ。
その隣には、知りたいことだらけなので何冊も勝手に調べてきてはノートを埋める人間もいれば、親が教育熱心なため親に叱られながら自主学習ノートを埋める人間もいれば、親が裕福だから塾や家庭教師に習いながら自主学習ノートを埋めていく人間もいる。中には、親が自主学習ノートのゴーストライターをつとめてくれた人もいるかもしれない。
だが、大半の人は、自分や親に自主学習ノートの手伝いするような人を雇う資金力もなければ、自分自身にそんな学力もなく、親には、そんなことにかまってくれるヒマもないので、自主学習ノートをどんどん埋めていけるだけの環境や能力のある人間とつながって、うまく機嫌とって教えてもらったりして、その自主学習ノートを埋めていくのだ…。。。
放置されても、一応は、人は育つ。だが、それは野生の育ちと同じで、美しい人間は美しさが人間関係におけるつながる理由となり、能力がある人間は能力が人間関係におけるつながる理由となる、なんの能力もなければ誰ともつながれない、究極の自己責任の育ち
であり、決して当時のメディアが言うような、お手手つないで平等なんてものではなく、真逆のものとしか言いようがない。

それが、私の受けたゆとり教育の真実であるが、こんなこと今更言っても仕方ないだろうと思ってもいる。
ただ、こういったことは、他の世代からすれば、言わなければ、全くわかりあうことはできないし、言葉にできる人間ばかりではなさそうでもあるので、一応書き残しておく。

ただ、誤解のないように書き加えるなら、従来通りの内容的な、教師の板書をうつす教育の時間も取られてはいて、従来の宿題に+自主学習ノートを取れと言われていたのだ。
自主学習だから、従来通りの宿題さえこなしていれば、別に自主学習ノートを一年間真っ白にしてきたところで、たいして何も言われたりなんかしない。

それは、ここnoteと同じ。
したくないならばしなくていいけど、隣の人の差がついてもその人のせいなだけなのだ。

別に自主学習なので、自主学習ノートを一冊まるまる漫画にしてしまってもかまわないし、イラストで埋め尽くしてもかまわないし、くだらない日記みたいな雑文で埋め尽くしてもかまわないし、もちろん白紙で提出してもよい。ただ、それをやったら、学校の先生という生き物にどう評価されるかは、別問題だ。

もちろん、面白いと腹抱えて満点つけるような先生ばかりではない。
むしろ、そんな先生は少数派だ。
だから、自主学習ノートといえど、一応は何回か提出しないといけないこともあって、たいていの生徒は、学校の先生が好みそうな数式で埋めてみたり、英語で埋めてみたり、古典の感想文で埋めてみたりして、なんとなく先生のご機嫌取りをするものであった。

私は、そういう教育を受けてきたというログである。コレを教育と呼べるのかまでは、私には、さっぱりわからない。

ここから先は

1,027字
この記事のみ ¥ 500

サポート代は、わたしの子供たちの育児費用等に使われます。