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キリングフィールド

2011.12.30 
ポルポト政権化クメールルージュにより行われていた大虐殺。

カンボジアの4分の一の人口にあたる170万人あまりの人々が犠牲になっている。

1975年。
決して遠くない最近の話。

ポルポトは、首相時代に祖国の農村共産主義化を進めた。
都市住民を、植民地時代からの支配構造の上に乗っている社会の寄生虫であるとして、
全員を農村に強制移住させる。
そして医者、教師、技術者などは、ブルジョア思想を持っているとして弾圧した。

眼鏡をかけているだけで知識人とされ、処刑された人もいる。
通貨や、町々にあった市場を廃止、企業もすべてつぶされた。
休日撤廃、余暇の音楽や映画、そして恋愛の禁止。
人々に許されたのはただ、毎日朝から晩まで農作業や機械を使わない土木工事にたずさわり、働くことだけだった。

今回
カンボジアに多数存在した大量虐殺の刑場であるキリングフィールドを見学してきた。

記念碑には、犠牲者の骨や衣類が祭られていた。
あたりにはおそらく犠牲者の衣服と思えるものも。

わずかではあるが、生々しく感じることができた。

強制労働をしいられていた人が語った言葉。
クメールルージュは虐殺なんてする必要なんてなかった。
過酷な労働によって、飢えるだけでなく、希望も奪われ生きる気力も失っていたからだ。
虐殺などしなくても死に向かうことになる。
ただ幸運だったのは夢、そして母から与えられた希望をもっていたことだ。
母親はいつも彼に「大丈夫、あなたは将来必ず成功する」と語っていたらしい。

ここカンボジアにはこの時代を生きた人が数多く今も生活している。

そのこと思うとなんともいえない気持ちになった。

町に出て交わした笑顔もなんだか悲しく思えてしまう。

空はこんなに青いのになぁ。

ポルポトやクメールルージュを突き動かしたものは?
なんで誰もとめられなかったの?
こんなことを繰り返さないようにするためには?
疑問があがるばかりで、

自分なりの答えも出すことははできなかった。

考え続けなければいけない。


事実を知ることができただけでもここを訪れてよかったと思う。

カンボジアにきたときには、ここキリングフィールドを訪れることをお勧めします


このキリングフィールドを訪れるまで、この事実を全く知らなかった。

カンボジアの街に若者が多い、というよりお年寄りがめっきり少ないのには理由があったのだ。

前のノートでカンボジアの人の笑顔は素晴らしいと書いた。

それは内紛という悲しみがあって、繰り返さないための未来をみてるから。

直接言葉として聞いたわけではないけど、ここを訪れてそう感じていた。


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