血管腫について



同志の死という記事を読んで

https://twitter.com/withnewsjp/status/1457830288508264448?s=21


私もこの方と同じ海面状血管腫があります。
もう一種類いちご状血管腫というものも一緒にありました。

私の場合は赤ちゃん時代に目の下の面積大半が赤かったのですが、何度もレーザー手術を重ねて今は唇の膨らみと量顎の付け根と首くらいに治りました。

髪の毛が生えてる部分にもあるのですが、私の今の髪型が両サイドと後頭部が刈り上がっており
母が
「まさか刈り上げるとは思わなかったから髪の毛の部分レーザーやってないよ(笑)」
と笑ってました笑



私も赤ちゃんの時に発症したらしいです。
先ほども書いたように顔中真っ赤でした。
父も母も姉も私のせいで大変だったと思います。

家の血管腫の本を見る限り
父も母もめちゃくちゃ勉強してくれたんだと思います。


母が私をベビーカーに乗せて散歩しに行けば、おばさんが私を見て近寄ってきて

「あらぁ。可哀想」

と一言。


ですが母は
『何が可哀想なの?何も可哀想じゃないけど?』
と私を“普通”に“堂々”といろんなところに連れて行ってくれたそうです。
確かにそのおばさんのその考えが安易すぎる。
そっちが可哀想だもん。

ショッピングセンターに家族で行った際は
店員さんがベビーカーの私を見て何かよろしくない事を言ったのを姉が目撃してたらしく
泣きながら怒りながらお父さんに報告して
お父さんがブチギレてたらしいです。笑



【幼稚園・小学生】

幼稚園、小学生の頃はよく男の子から顔のことでからかわれたりは結構ありました。
「くちびるおばけ!真っ赤っか!」
とか今言われてもダメージを受けない言葉が当時は結構刺さりまくって泣いた記憶はあります。



【中学生】

中学に入ることには幼稚園小学校の時にレーザー手術をしたおかげですごく赤く派手な部分は少しおさまっていました。

中学に上がったら初めましての子と友達になり
「私の顔気にならないのかな?」
と思い中1の2学期目くらいに聞いてみたのをよく覚えてます。
『あー。なんかよく見たらあるねとは思ったけど特に気にならなかった!なに?』
この程度でびっくりしました。

アザは減っているけどまだ初対面の男の子からはからかわれたりしました。
私はからかわれたりしても、あからさまに泣くことができず黙ることしか出来ず逃げることもできませんでした。
ですが仲良くなった友達が
『何言ってんの?もうあっちいこ。』
と声をかけてくれて廊下に連れ出してくれました。
逃げたくても逃げられない状況を判断してそういう行動をしてくれた友達には感謝しきれません。



【高校生】

高校に上がるとからかわれると言うことがほぼ無くなりました。
ですが、私には1個どうしても苦手なことがありました。


それは《プリクラ》です。


プリクラは当時でも相当優れていて
足を長く見せたり、小顔に見せたり
お化粧してるふうに見せたり。
その、“お化粧している効果”が私には苦痛でした。

赤い色のものに反応するようにできてるのか
撮った後みんな口が口紅を塗ってるかのように真っ赤になるのです。
私の場合、血管腫によって人より赤い範囲がひろかったので
プリクラを撮ると、ミートソースを雑に食べた後のように真っ赤になってて
周りの子は気を遣ってなのかそのことについて触れないし。

私にとっては苦痛なイベントでした。


時が立って高校卒業前、私は専門学校に進学が決まってました。
そこで何を思ったのか
『口の膨らみをとる手術がしたい』
と母にお願いしていました。
今思えばなんで手術したいと言い始めたのか
詳しくは思い出せないのですが
社会に出たら
「術後のダウンタイム?的なのが取れないのかも」
と思ったのは覚えています。

母は私の話を聞いたら
『あなたがやりたいなら協力するよ』
と言いすぐ病院の予約をとってくれました。

生まれた時からお世話になっていた先生に数年ぶりに会い
「大きくなったね〜!」と言ってもらい
今の私の気持ちを伝えると手術についてお話ししてくれました。

「君の唇の膨らみは、もう血管腫の集まりじゃなく脂肪の集まりになっているかもしれない。
メスを入れて中身を取り出す手術になります。
口は色々な神経が集まってるところだから、綺麗に治るかは正直やってみなきゃわからない。
引っ張っちゃって唇の形がおかしくなる可能性もある。
精一杯頑張るけどね。」

「もし傷痕が残ったとしても、大人になったらメイクするだろうし傷痕くらいは隠せたりするかもしれない。」

こんな感じで忠告を受けました。
でも私は、やることしか頭になかったので
お願いしますと先生に伝えて手術日をきめて
病院を後にしました。



手術当日、思っていたより緊張していなかったのをすごく覚えています。
学校を休み、お母さんと電車で病院へ。
なんかシールみたいなのを顔に貼り付け部分麻酔を。

手術中、手術台で先生に
「痛いねー、ごめんねー」
とめっちゃ謝られたのが印象的でした笑

手術が終わるとちょっと休んでからすぐ帰路に。
電車の中で麻酔が切れたのか死ぬほど痛くて
18歳なのにお母さんに泣きついて号泣したのは忘れません。
その時
「もうこんなの2度とやらない!」
と何回も言いました。
まじ死ぬほど痛かったです。


登校日、私はとても緊張していました。
高校の人たちにはあまり血管腫のことを伝えていなかった(聞かれもしなかった)ので
みんなどんなリアクションをするのか怖かったです。

教室に入って、顔に包帯を巻いてる私にやっぱり
みんな話しかけてきて
口の中の手術だったので
・腫れてて上手く喋れない
・笑うと傷痕が開いて痛い
をどうにか説明してみんなに伝えてもらいました。

先生にもそのことは伝えてあったので
改めてクラスのみんなに説明してもらいました。

『カシ子は手術の後で、笑うと傷が痛いそうです。
みなさん笑わせないようにね!』

そういった途端友達みんなニヤニヤしてました。
案の定いつも以上に私を笑わせにかかってきました。
でも、痛かったけどなんかみんなが逆に優しく見えました。
痛かったんだけどね。

お昼ご飯はうまく食べれないし
こぼしてしまうから保健室で1人で食べることにしたのですが
クラスの数人の男子と女の子が
「カシ子保健室なら俺も遊びいこー」
ていって一緒に保健室に来てくれたりしました。



抜糸した後、唇の形は別におかしくなく
数日は膨らみ部分がスカスカな感じがして
あれ?これは手術大成功?と思いましたが
徐々に膨らみは元に戻りました。
結局取り除いた中身がなんだったのかは
なんだっけな?さらにお金がかかるんだっけな?
わからないけど、なんかどうでも良かったので
なんでもいいです。


【専門学校】

専門学校では今でも仲のいい大切な友達に出会いました。
わーい。
(血管腫イベントはマジ何もなかったので割愛します)



【社会人】

社会人になってから今までは唇のことで
「うっ」
と思ったのは1回だけあります。

仕事でお客様と打ち合わせした時
赤ちゃんを連れてるお客様でベビーカーで寝ていた赤ちゃんが
若干グズリ始めたので、私が覗き込んであやしていたのですが、おでこに血管腫らしきものがあり
奥様が
「そうなのー。この子おでこに血管腫っていうのができちゃって。可哀想でしょ〜。治るかしら〜。」
と言ってました。

『私も血管腫たくさんありましたが、このくらいのサイズだったらレーザーで消せたりするんじゃないですかね?』

と言ったら、

「うっそ。うちの子もこうなっちゃうのかしら。
もしかして唇のもそう?なんか、アレ?とは思っていたのよね〜。この子はまだそんなに酷くないから大丈夫かなぁ」

と言ってきました。
この人はなんか可哀想な人だな〜と思いつつ
その後の打ち合わせを終えました。

言われ慣れてたはずなのに
帰りの電車では静かに泣いてしまいました。
なんか悔しかったです。



【今現在】

自分の顔のことのくせに
『こんなところに血管腫あったっけ!?』
となる事がたまにあります。
その時母や姉が
「いやあったわ。今更すぎて笑える」
と冷静に反応します。



普通じゃない



たしかに“一般”の人とは見た目にだいぶ違いはあります。
ですが私は家族や友達が暖かすぎたせいなのか
小さい頃は血管腫でジロジロ見られていたのに
今は派手髪に顔耳ピアスにタトゥーが入っていて
色んな意味でジロジロ見られる見た目になりました笑
母は
「なんだかね〜笑
あんたがいいならなんでもいいよもう!笑」
と呆れながらリスペクトもくれます笑


血管腫のおかげで私より
家族が大変な思いをしたとは思いますが
今、私はあなた達のおかげで幸せに生きてます。

長文駄文失礼しました。

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