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陳情の振る舞いと、陳情への振る舞い

 震災後、陸前高田市に移住し活動するアーティスト瀬尾夏美の著書『あわいゆくころ ―陸全高田、震災後を生きる―』(2019)のなかで、瀬尾はいくども、かつての戦禍と、東北の災禍を重ねる。
 戦禍と災禍は、人々の暮らしの環境を一変させ、ある部分を確かに「破壊」した。破壊のあと、人々が生きていく中で生じた様々な軋轢や葛藤においても、その両者には、通じる部分があるだろう。とはいえ、その両者を安直に混同することは、両者それぞれの特有の問題を隠蔽しかねない。瀬尾自身、広島、ヒロシマ、ひろしまを語る手はずは、神戸に関する語りに比べ、一歩後ろへ退いている。彼女の日々の語りを収録した日記体の本書は、2016年11月29日~12月5日、作品制作のためのリサーチで広島に滞在したこの6日間においては、11月29日に聞き書きの語りを一部載せたのみで、瀬尾自身の言葉はなく、日記は欠けている。

 ちょうど先週、NHKのETV特集で、福島県の中間貯蔵施設に翻弄される地域住民を取り上げたドキュメンタリーを見た。営んでいた梨農園が中間貯蔵施設の資材置き場にされて以来、故郷を離れた地で暮らす一人の男性は、いずれ取り壊されかねない地域の石碑や公民館の題字、スーパーの看板等、街に遺されたあらゆる凹凸を、ひたすら拓本に取り続ける。また、無くなった次女の遺骨を全て見つけるまで国に土地は引き渡さまいと中間貯蔵施設建設の契約を拒否し続ける男性は、立ち退きを求める国が提案した捜索隊派遣を受け入れ、大量の捜査員とともに日々土を掘り返す。原発によって受けてきた恩恵と罪悪感の両方を感じながら、中間貯蔵施設への土地の引き渡しの住民説得に奔走する市議会議員が映し出された。
 国から持ち込まれた大規模な中間貯蔵施設という名の開発―復興に対して、静かな怒りに震える人もいれば、いつの日か子孫が笑える未来のためにはやむを得ないと語る人もいる。
 跡形もなくなったかつての梨農園に積み上がる真っ黒な袋の山が映し出されるのを見て、曖昧な答弁をする国家の役人の映像を見て、感情的な怒りが巻き起こらないほうが難しい。テレビ画面を見つめる私の中にも、もっともっと国を批判すればいいのに、もっともっと地域住民の露骨な怒りを伝えてくれたらいいのに、と無責任なヒロイズムがじわじわと起こっていた。純度100%の怒りなんてものはないのに。それを求めたくなる私はいったい何者なんだろう?いい加減にしたい。いつもこうだ。

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 最近、『忘却の記憶 広島 ―広島学を起動する―』(東琢磨・川本隆史・仙波希望:編 月曜社、2018)を読んだ。

http://getsuyosha.jp/kikan/isbn9784865030655.html

 本書は、戦後70年を過ぎ、広島の原爆の被害の継承が問題になる中、それを実際に経験していない「その後」の世代にある執筆者が、いかなるかたちでそれを語ることができるのか、という試みによって編まれた、複数の書き手によるアンソロジーである。研究論文集でありながら、その書き手は、アカデミズムの論者に限らず、アーティスト、音楽批評家、哲学カフェ主催者等、バックグラウンドは多岐にわたっている。巻頭言で編者がほのめかしている通り、編者が所属するコミュニティの色が強く反映されており、若干収録内容に身内感というか、排他的な方針を感じた。

 しかし、こういったアンソロジーのよさは、ある書き手の語りや主張が、他の書き手の主張と並べ合わさることで相対化され、自分の違和感を明確に把握する助けになることだと思う。その意味で、この冊子の中でひと際今の自分にとって重要な論点を投げかけていると思ったのは、西井麻里奈「〈そこにいてはならないもの〉たちの声 ―広島・「復興」を生きる技法の社会史」である。
 ①〈ただひとつの場所〉を失われた時に市民によって編まれる論理、②その論理に対する非当事者のスタンスを検討する点で、この論文には重要な論点が存在していると思った。

「陳情書」をめぐる、「復興」批判言説批判
 自分の住処が破壊され、残った土地が「復興」という大きな流れの中に取り込まれ、何かと引き換えに自分の手からそれが失われようとするとき、市民はいかに考え、動き、個人を超えた大きな流れとともに、いかにあろうとするのか。そして、その様を見た周囲の非当事者は、いかに振る舞うのか。
 
 西井が疑うのは、広島をめぐる「復興」において幾度も語られてきた――トップダウンの「復興」が、〈ただひとつの場所〉を奪われた被爆者や市民の心情や実情に合わない「暴力」的な政策によって強権的に発動されてきたという「復興」批判言説、それ自体に対してである。
 具体的にいえば、平和記念公園や道路建設など復興政策が、バラックを立てその地で独自に再起を目指していた被爆者を再び「排除」した――このような、被爆者の側に立った、文化史的な復興批判が、広島研究においては幾度も繰り返されてきたという。これは、広島研究について無知な私でも、その論理の自分自身へのなじみ具合を確認すれば、納得がいく。西井はそのような批判を重要としながらも、以下のように述べる。

 「平和」を掲げた「復興」のなかで排除される戦争被害者、という「平和」的ならざるスキャンダルとして焦点化されるとき、生きて住まう者の生活再建に関わる出来事は、巨大プロジェクトとしての「復興」という枠組内で了解されてしまう。破壊された街で生きていく状況や、再建への衝迫、廃墟の広島に再び、あるいは新たに生活の根を下ろそうとする人びとの具体像を歴史化することはいかにして可能か。(p.176)


 西井が目指すのは、「復興」批判言辞によって覆い隠される、被害者たちの個別具体的な語りと状況のリアリティである。〈国家〉対〈市民(被害者)〉という二項対立的図式に陥ることは、被害者の個別的な行動や発言は単純化されるか、あるいは漂白される。虐げる国家、虐げられる市民、というかたちで、強者像と弱者像が固定化されることは、その市民が実は国家に与した行動をとっていたり、被害者同士で差別的な言説を繰り返していた等の、「虐げられる市民」像からはみ出る部分は、都合の悪いものとしてなきものとしかねない。大きな物語が小さな物語を抑圧する、となんの疑いもなく私たちが訴えているとき、その小さな物語をわたしたちは本当に見ることができているのか。


 西井がその目的のために着目したのが、1945年12月の「戦災地域復興計画基本方針」と1946年9月「罹災都市借地借家臨時処理法」などにより主に広島の中心部を対象に行われた区画整理事業によって換地を迫られた被災者・居住者たちの「陳情書」である。 
 もちろん、換地先での生活を危ぶみ、意義を申し立てる人々のつらく苦しい内情をそこから読み取ろうとするのではない。彼女が目を向けるのは、生活の危うさを国に訴えかける時に、即座に人々によって編まれる、本音や内実とはまた別の、半ば戦略的とも言える「陳情の論理」である。例えば、換地を拒否する要求を通すためにある人は、自らの土地が「道路や公園になるなら良いが、他人が占領する事は承諾できない」と語る。「私としましては広島を愛する気持ちに於て広島復興に歓心を抱っている」という愛郷心をほのめかす言説が合わせて寄せられていることからもわかるように、そこでは、善良な市民として復興がもたらす「公共性」をなにより尊重するポーズがとられている。自らの生存可能な未来が、いかに国家の「復興」に貢献するのかを切に語り、自身の「陳情」がそれを妨げようと思っているわけでないということ、むしろそこに貢献するものでもあること訴える。それを、西井は〈そこにいてはならないもの〉として消去されないため(本書p.196)の、実行力を付与しうる言葉の選択であるとする。
 そしてさらに、それら「市民」としての協力的な言辞(本書p.196)は、土地を占拠する朝鮮人や、「他人が占領する事は承諾できない」という語りがあらわす、自分を差し置いて得をする他人などの、自らとはまた別の〈そこにいてはならないもの〉を具体的に浮上させ、それらを排除することを求める言説に結びついた(p.191~194)ことを、西井は重要視する。「復興」を目指す優良な一市民であることのアピールは、自らの生活を死守するための「排除の技法」(p.198)と合わさって行使されたのだ。国家のみならず、市民および被害者の中にも、排除は、「善良」な振る舞いの一つとしてあった。 
 西井の視点は、弱者やマイノリティを純なる存在として見、非人間化するそぶりに対する批判的追求において極めて重要であり、それが市民の切実かつ純なる訴えとしてみなしかねない「陳情書」の精読によってなされていることに、強い興味を覚えた。陳情の語りを矮小化することは、それこそ、陳情に耳を貸さないことと同義なのかもしれない。

 西井の言葉は、そのほかの論者の文章に比べ、自己陶酔と感情のボルテージが極めて低い。冷静に、とにかく淡々と語る。決して気持ちよくならないこと。あのテレビ画面を前にして、自分がどうふるまえばいいのか、確かな答えはわからないが、この文章のような重たい足場を持った冷静さを手に入れたい。

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