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【海のナンジャラホイ-25】海のカニ族でした

海のカニ族でした


「カニ族」というのをご存知でしょうか? 昔のリュックは、大きな袋の両側に小さな袋がついた荷物入れに肩ベルトがついたもので、茶色や白色の丈夫な布地でできていました。キスリングと呼ばれたこのタイプのリュックは、一番大きなもので、容量が72リットルくらいありました。その袋の中には特に間仕切りなどなかったので、背負っても重さを感じにくいようにするためには、梱包(パッキング)の技術が必要でした。衣類や道具などはなるべくコンパクトにまとめて、底に近いほど軽く、上の方は重くなるように、ブロックのように積み上げ、全体がぶ厚い板状になるように仕上げました。うまくパッキングすると、背負った時に背中全体に重量が乗るような感じになって、非常に楽だったのです。
しかしながら、キスリングでこんなふうに荷造りすると、幅がものすごく広くなり、駅の改札などでは、横にならないと進むことができませんでした。このため、このような旅行者は「カニ族」とよばれたのです。

 私は、大学時代に沖縄の海に何度も出かけたのですが、バイト代を溜め込んでは出かけていたので、節約旅行のため、往復は船で行い、現地では海岸にテントを張って、午前も午後もスノーケリングをやっていました。このため、必要な荷物は全てキスリングに詰め込んで運びました。テント一式・グランドシート・マット・コンロ・コッフェル・燃料・衣類などの普通のキャンプ用具に加えて、ウェットスーツ・水着・水中マスク・シュノーケル・フィンなども詰め込み、鉛のウェイトは腰に巻いて行きました。こんな格好で、奄美大島・沖永良部島・慶良間諸島・西表島などに出かけていったのです。

カニ族が行く


山と違って、飲料水や食料は現地調達できたし、海が風呂でした。私たちは海の「カニ族」だったわけです。
奄美大島の加計呂麻島の海岸で、我々のテントに地元の青年団の人達が訪ねてきて酒盛りになったことがありました。台風の来襲でテントが維持できなくなって、避難所で過ごしたこともありました。夜到着して、平らで塩梅の良い場所があったので、とりあえず寝ていたら、そこは学校の相撲の土俵で、目覚めたら子供たちに囲まれていた・・・という恥ずかしい経験もありました。

 そんな風に私たちがウロウロしていたのも、もう40年も前のことになってしまいました。当時、ほとんど黒一色の既製品ばかりだったウェットスーツは、今や簡単にオーダーメイドできるカラフルなものになりました。あちこちにダイビングサービスができて、スキューバダイビングを行うことも容易になりました。そして、カニ族のシンボルであったキスリングはすっかり姿を消して、いくつものコンパートメントからなる縦型のアタックザックが主流になりました。色々と便利になったな・・・と思います。
だけど、あの、サンゴ礁の海の水に自分たちの体を溶け込ませるような、海に密着した日々が、時々、とてつもなく懐かしくなるのです。


○o。○o。 このブログを書いている人
青木優和(あおきまさかず)
東北大学農学部海洋生物科学コース所属。海に潜って調査を行う研究者。

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