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2022.03.28 暴力で解決しないこと、暴力でしか表せないこと

私はあの映像をみて、意義のあったことだと思ったあの場面での的確な「怒り」の表明だったと思う
物理的な暴力と言葉の暴力、どちらも傷つくよ

ここで何も言わずにニコニコして、ジョークで流すのが最適解とは思わない
そんなことが「大人の対応」とは全く思わない


「暴力」は推奨されることではないけれど、じゃあどうすればいい?
その場は流して、後からアカデミー賞と相手に対して名誉毀損の訴えを起こす?
茶目っ気のあるジョークで言い返す?
じゃあ、言われた奥さんの気持ちは?傷ついた心は?
文面的なやり取りで納得がいく?
自分を肴にジョークの応酬を見るしかない?

私は当事者ではないし、会場にいたわけでもないから想像でしか考えられないけれど、
もし自分のことを「ジョーク」という建前で侮蔑されたら、頭が真っ白になるし、恥ずかしい、悔しい、この場から消えたい、みんな消したい、逃げたい、なんで、でも笑わなきゃ、笑えないって思考がぐるぐるして何も行動に出られないと思う

そんな時、迷わずに怒りを表してくれる人
誰よりも怒ってくれる人
自分の味方であることを全員に表明してくれる人
そんな人が隣にいてくれたら、どんなに心強いか
たとえ、その表明の方法が決して良いとされることでなくても、救われる気持ちが必ずあると思う

大人になったら、「怒り」を表に出すことは難しい
社会的立場のある人、しかも配偶者が有名な場合はなおさら相手の立場を慮って声に出すことは難しいはず
本当に悔しいけど、「女性」であることがなおさら歯止めをかける場合もある

今回、いわゆる「大人の対応」をしていたら、この悪趣味なジョークがここまで問題視されることはきっとなかった
世界中の人がこの問題について言及することも考えることもなかった

エンターテイメント、人を楽しませることって本当難しくて
特にコメディは傷つけることと紙一重で全員を楽しませること、笑わせること、傷つけないことは不可能だと思う
ラジオのナイナイ岡村さんの件もそうだと思うけど、紙一重の線引きを見誤ると取り返しのつかないことになる

まとまんない…
とにかく今の私は、愛する人のために「怒り」を表明できる人間であるか、人を笑わせることによって人を傷つけることの可能性を自覚しているか、について考えた1日でした

未来の私はどう考えてるんだろうか
違う角度からの見方をして、また悩んでいるんだろうか
そうであったらいいな


本当は昨日のセブチのペンミについて書くつもりだったのに…
なんなら今日はドリムのカムバだったんですよ…
気づいたら、30分書いてたよ 
途中苦しくて涙出そうだったありがとう仰向け

取り急ぎドリムの爆イケビジュアルを置いておきますね

オモ
ジェノチソンにやられてますね

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