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戦前・戦中生まれの高齢者が語る、上皇明仁様の幼少期・新しい象徴天皇とは

令和の時代がやってきましたが、先日報道ステーションの平成天皇の側近の方々がインタビューに答え、美智子様とのご成婚についてのエピソードが幾つか語られましたが、私がかねてから聞いてきた話そのままなので、短く今日はお話します。

★幼少期、実はとても苦労した時代だった

昭和天皇は戦前・戦後を生きた方でしたが、独特の話し方が特徴的なお方でした。例えば戦争が終わって全国行脚をした時、子供に「家はどうなの?燃えたの?あっそ。大丈夫だった?」というように、”あっそ”が口癖でした。

今の時代、眉をひそめるような口癖でしたが、それはひとえに皇室独特の教育、言ってみれば帝王学のような教育がその背景にあったそうで、昭和天皇は常に自分のそういった態度が、一般国民の感覚が違うと思っていらしたようです。

現在、上皇になられた平成天皇明仁様の幼少期、昭和天皇の強い要望で、教育は皇室内ではなく、いずれ一般の国民と同じ義務教育を受けさせるとして、皇室初の皇后様が養育に携わる事になりますが、そこで非常に印象的なエピソードがあります。それは、昭和から平成になる前の話で香淳皇后様が生まれたばかりの皇太子様を抱いた時、侍従の前で「私によく似ている」と話したことです。この逸話は高齢者の方はよくご存知だそうですね。

歴史的に大正天皇の時代がその言葉の背景にあったと伺われますが、民間人の美智子様とご成婚され、皇太子様、つまり令和天皇が教育を受けている間、侍従達が1番苦労したのは、皇室伝統独特の態度をどうにか自然にするということだったようです。

平成天皇が被災地へ行き、膝を付いてお見舞いするのは、昭和天皇の方針を引き継がれたからですが、昭和の時代はまだまだそれを許さない風潮が皇室にはあったそうです。だから次の時代は象徴天皇として、国民に寄り添う姿であるべきと、昭和天皇はご意思を貫き、それは平成に引き継がれました。

その中で平成天皇・上皇明仁様は、晩年次のように侍従医に語っていたそうです。

「私は人へ思いやるとは、どういう事か理解できなかったが、結婚してそれを理解できるようになった。」

美智子様への感謝の言葉がここに現れていました。令和という新しい時代。それはようやく、実の母の愛を受けて育った、初めての天皇誕生の記念するべき出来事でもあります。

ご退位の式典の中でも、お言葉には皇后様を加えられてました。様々な思いがあったでしょうし、107歳になる高齢者の方は式典をテレビで見ながら「ホッとしたでしょうね。」と取材で語っていましたね。


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