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写真とインスタと世界観

ハンドメイド販売を始める方が随分増えたとあちこちで聞かされる今日この頃、二千万人ものハンドメイド関係の活動をしている方がこの日本にいるそうで、実感の感じられない数字に気が遠くなります。

インスタグラムの中は地球規模ですから異次元です。華やかな写真や動画が、どんどん湧き出て吸い込まれていく・・そしてまた出てくる、みたいな。

私が毎日必死で更新していても、インスタグラムはそれらをスマホのどこかに作られた小さいブラックホールの中に流し込んでいるようです。

ともかく今日も一枚写真をパチリと撮りまして、インスタグラムによいしょとアップしてまいりました。

ところでインスタは簡単だなどと小耳に挟んでおりましたが、なんのなんの。キャッチーな写真を撮るって、相当難しい。誰も私の写真なんて見てくれないのが当たり前です。でも他の方々はちゃんと見てもらっているみたい、「いいね」を沢山頂いているみたい・・

マイペースでいくぞ、と思っていても、うまくいかないとなぜか他人の成果しか目に入らない時期も訪れたりして、その結果いろんなネット情報を漁り正解が分からなくて悩む、という事などきっと世の中に溢れている話に違いありません。

「写真は努力だ、枚数だ」というネット情報を単純に信じまして、ともかく前よりマシに撮れることを目的に、何枚もスマホで撮影し削除し、を繰り返していました。

ところで、上手く撮れた!と思ったある日、そこから不思議と次の悩みが訪れたのです。私は商品を撮影をしているわけですから、できるだけ正確に撮る事が大切なんじゃないのか?今さらそう思ったのです。が、そこには絶対的な壁があるわけです。やはり実物を見て頂く以外に伝えられない、大きくて深い河がそこには流れています。

そんな事を考えてしまった私には、インスタの写真も商品写真も実物ではない、という強力な真実の前では、素人が実物に近づける事を目的として写真を撮るのは無意味な事に思えました。そう思ってインスタを見かえすと、確かにたしかに・・

世界中がこぞってあげているインスタの写真は発信者からのメッセージであり、訴えであり、PRであり、CMであり、ポスターであるに違いありません。彼らは思いっきり自分たちを宣伝しています。美しい写真、過激な写真、面白い写真、写真ですらないもの、悩み深いものも。

彼らは見つけて貰いたいに違いありません。世界中のどこかから、自分と同じにおいのする、自分と同じ彩色に感動してくれる、好きな雰囲気が似ている誰かに。

私達が見えない世界中の誰かに向かって、ただ声を上げるという方法だけで見つけて貰うのであればどうするでしょう?人より大きな声を出すか、綺麗な声を出すか、キタナイ声を出す、か?もしくは小さい声でも誰よりも長く出すか。

きっとインスタグラムの中で行われていることって、沢山の人がいろんな声を出すのと同じ事なんだとやっと気が付いたわけです。

大きな声も綺麗な声も出せない場合は、小さいけれど長く長く続けるしかないわけです。小さい何か、ですが、商品写真でなくても良いという理屈になります。なるほど、ここで「世界観」という言葉がしっくりくるように思います。「世界観」を発信するわけです。なんだか飛躍しすぎたでしょうか?

そんなことよりも重要な事。声の小さい私に何ができるのか?まだまだこれからの課題みたいです。










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