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美しい不安を抽出する 小川洋子『原稿0枚日記』

 うそ日記が好きだ。文学を論じる人がなにかきちんとした名前をつけてくれているのではないかと思う。けれども正式な名前を知らない。それで日記の体裁で嘘を書いているものを「うそ日記」と呼んでいる。

 私の中の「うそ日記の双璧」は、多くの人が留学日記だと思う文章を書いておきながら、あとがきで「これは作り話です」と言いはなった堀江敏幸(身もだえするほど格好良い)、正統派の日記文体にあからさまな妄想を入れこんで、そのくせ全体が平熱と奇妙な透明度を保っている岸本佐知子(天才じゃないだろうか)。
 特有のぬらりとした感触を日記の体裁でも披露する川上弘美、過去と可能性を「亡霊」として表現しつづける柴田元幸。現代日本には錚々たるうそ日記作家たちがいる。

 私はもちろん小川洋子作品を愛好する。小川洋子の文章には常に不安が含有されている。小川洋子の不安は美しい。生理的といっていいほど身体に近しい不安だ。
 身体は容易に変容し、有機物はあっけなく腐敗し、手にしたものは砂のように崩れて失われる。みんなが持っている資格を自分は持っていないのに、そのことを隠してこの場にいる。どうか見つからないように、うまくやらなくてはーー。

 そのような感覚でびくびくと生きている人間はわりとたくさんいて、そういう人間にとって小川文学はこたえられない。なぜならリアルな人生の中のリアルな不安はただひたすら惨めでさびしく見るに耐えないものであるのに、小川洋子の手にかかると同じ種類のものがひどく美しく見えるからだ。すぐれた小説は時折そのような反転の魔術を披露する。そう、本作は日記の体裁を取ってはいるけれども、まぎれもない小説、ほんものの小説だ。

 不安な人間はしばしば、自分を正す(質し、糺し、正す)存在を必要とする。『原稿零枚日記』では、それは「市役所の生活改善課のWさん」という姿をとる。主人公の作家のもとに訪れ、ことこまかに生活ぶりを点検する役人だ。小川洋子の世界にはしばしばこのような人物があらわれる。マイルドなナチスというか、見栄えの良いDV行使者というか、ともかくなにがしかの権力を持っており、それでもって他者(主人公)を正す。
 しかも主人公は、彼にひそかに心ひかれている、というより、欲望を抱いている。その男を両の掌におさまる大きさに撓めて美しい細工をほどこした小さい箱に仕舞って、そうして自分もその大きさに縮んでしまいたい、というような欲望を。この要素も小川作品にしばしば見られる。

 うそ日記も小川洋子も好きだけれども、小川洋子がうそ日記を書くとは思わなかった。小川洋子のどこか病的に撓めこまれた世界には(日記の体裁ではやりにくい)複数の時制や人物造形を使った語りが必要だと思っていたし、ストーリーテリングも大きな魅力だと感じていた。

 『原稿零枚日記』は従来の小川作品とは大きく異なる。前述のようにファンにはこたえられないおなじみの要素が入っているのに、主人公の視点は他の小説のようにひたと何かに据えられることなく、日々の生活のなかでうつろう。
 そうして、ストーリーテリングを抑えたこの作品の主人公は「あらすじ名人」なのだ。日記の末尾に毎日のように「原稿零枚」と記す作家であると同時に、他人の小説のあらすじを語ることが滅法うまく、公民館で「あらすじ教室」を開く講師でもある。

 小川洋子作品にはしばしば特異で魅力的な職業が出てきて、作者本人もクラフト・エヴィング商會『じつは、わたくしこういうものです』で冷水塔守を演じている。架空の仕事にはひとかたならぬ実績(?)がある作家なのだ。今回のそれは、あらすじ名人。なんてすてきな職名だろう。
 この仕掛けはあらすじを作りにくい本作自身ときれいに対応する。あらすじのない作品の中でたくさんのあらすじが語られる。私たち読者はそれを読むことができない。私たちはただあらすじを語る描写を読み、あらすじによってなにがしかの作用を得る人々の様子を目撃する。

 そのように考え、やはり本作からは筋立てがきれいに取り去られていて、筋立てによらない要素が抽出されている、と思う。抽出されるのは小川文学を成す要素だ。美しい不安たち。
 本書は小川洋子の最初の一冊にもいいかもしれない。抽出された要素が気に入れば、それらが肉付けされストーリーに織り込まれた小説を好きになるに違いないからだ。
 生活改善課のWさんが出てくるくだりが好きなら『密やかな結晶』『薬指の標本』を、パーティ荒らしの場面が好きなら『完璧な病室』『まぶた』を、譜めくりや「健康スパランドの女王の部下」との一幕が好きなら『ミーナの行進』『博士の愛した数式』を、というぐあいに次の本を選ぶことができる。小川洋子ファンを探してきて「『原稿零枚日記』のここが好き」と言えば、たちどころに二、三の作品を挙げてもらえるだろう。

 もちろん小川作品の要素は誰もが一律に捕らえられるような明白なものではないから、人によって挙げる作品は異なるはずだ。私はそのことを想像するとうっとりする。それをネタにした飲み会を開いて思う存分話したいと思う。そのときにはぜひ「私がいちばん好きな小川作品は『沈黙博物館』です」と主張したい。

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