スロウハイツの神様を読んで。感想と思ったこと。

 あまり人に思ったことを伝えていないことに気づいた。
 面白いとかエモいとか便利な言葉に頼っていた。漠然とした感情をかみ砕いて、言葉を反芻する練習をしたくなった。先輩からいただいた本の感想をちゃんと言えていなかったので、また本を開いた。やり残した宿題をしているようで、懐かしい気持ち。読書感想文なんて10年は書いていないので、寛大な気持ちで読んでほしい。

 辻村先生の本を読んだのは今回が初めてになる。私は西尾維新が好きだったので、本屋の講談社のレーベルが集まる棚にはよく行っていたし、メフィストを立ち読みしていたので、名前は知っていた。レーベルで作家の色が寄るかはわからないけれど、結構ワクワクした気持ちで読み始めた。


 読んでいて気持ちがいい小説だった。
 上巻で散りばめられた要素が、ピタッと下巻でハマる形には爽快感があった。小説で歌舞伎の”見得をきる”というシーンを想起したのは初めてだった。上下巻でいただけて、最後まで読めて本当に良かった。
 特にキャラクターを好きにさせる魅力があった。人間らしさが凝縮されていた。
 私は、エピローグで作中の時間経過があり、キャラクターがちゃんと幸せになっている話が、作者のキャラクターへの愛のようでとても好きだ。とくにこの作品では、キャラクターの魅力が溢れていたため、幸せな終わり方で、読者側にも幸福感が与えられたように思う。


 ストーリーの感想を言葉にすることが苦手なので、思ったことをつらつらと書こうと思う。

 人にとって作品とはどういうものであるのか。
 作品は毒であるのかもしれない。チヨダ・コーキに影響されて、模倣犯罪を起こしたというのは、まぎれもなく毒と言っていいだろう。
 作品は翼であるのかもしれない。環にとってチヨダ・コーキは特別で彼の作品がなかったら、彼女はここまで輝きのある人間にはならなかっただろうから。

 ただ一つ確実なのが、人は触れてきた作品通りのになるということ。
 綺麗な小説を読む人は綺麗な言葉を使い、素朴な絵画を好む人は優しさを含んだ振舞いをとるように思う。
 小説のジャンルの一つに、ビルドゥングスロマンという、成長を描写するものもあるけれど、その実、小説こそが人を形作っているのだろう。小説の持つその劇的なエネルギーと純粋な情報量で人の生き方を左右する。こと、このスロウハイツの住人の創作の描写を見ていると、作品に対しての向き合い方、熱量こそ違えど、生まれるそれはクリエーター自身を濃く煮詰めたものであることが感じられる。その作品はコップの水に落としたインクのように一滴でも、然りと受け手の生き方を染めていくのだろう。


 私は何も書いたり作ったりしない人間だから、何かを作っている人はどこか自由に見えていた。でも実際は、軸が違うだけでその人の目標に向かって悩みの中を環っているのかもしれない。そう考えたら、普段読む文字列に奥行きを見だせるかもしれない。
 この本を読んで短い文章だけれど文字を書いてみて、ある種の消費者コンプレックスが和らいだように思う。

 本を読んで面白かったし、感想書くにあたって色々考えて楽しかったです。



 追記。
 この本をプレゼントしてくれた先輩は、よく人を褒めてくれる人だ。些細なことで褒めてくれる優しいひとだ。Twitterで人に”良い”や”好き”をリプで送ってる姿をよく見る。”素敵”や”嬉しい”という言葉をきれいに使っている印象があった。その度に、私はあまりそういうことができないので、すごいと思っていた。辻村深月先生の本には、キャラクターの魅力がとても鮮やかに描写されていた。関わる人や物に良い面をすぐ見つけられる先輩だからこそ、こうした本が好きなのかと思うと、本の傾向と人が合致しているようで面白いと思った。



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