見えを気にする

 見えを張るバランス感覚について考えることが、ここ最近多くなってきている。見えを張ることをやめよう、という意識がここ半年ほどあったのだけれど、その反動としてここ最近は人からの見え方を気にするようになった。

 私にとって、見えを張ることの一番のデメリットは、金や時間がかかることだ。服やスポーツジム、コンタクトレンズ、時計、宝飾品…。ただ生きることに比べてべらぼうにお金を使う。私はお金に執着する人間なので、あまり外見などにお金を使うことに否定的になってしまう。

 でもそれってどうなんだろうな、と最近思う。

 アロハ服やらユニクロのTシャツ(エアリズム5分袖)、感動ジャケットのセットアップで私はときめいていたのだ。長続きしなかったけれど、ジムで筋トレしていた時は、自己肯定感も強かった。

 楽しいこと、避けてしまっていたかもしれない。
 少し後悔がある。

 見えを張ることの否定は、承認欲求の否定に近く、社会生物としての自己の否定になっていたのではないか。
 自身の虚言癖と一生付き合うと決めた私が、虚栄心を否定するとはなんとも不格好ではないか。(そう、私は虚言癖があります)
 他人の目をエンジョイしようぜ。

 さて、コロナの冬がそろそろ落ち着いて、人が吹き出る春が近い。
 誰かに遊んでもらえる時は新しい服でも買おうかしら。
 (だから遊んでくれ。)



以下、脱線。

 虚栄心の対義語に近いものとして”謙虚”って言葉があると思うのだけど、どちらにも”虚”って入ってるのがとても面白いと思った。虚栄の虚は、嘘に近い意味で、謙虚の虚は仏教用語らしい。仙人が悟る時のような心なのだと思う。私の心の師、エピクロス様が唱えたアタラクシアに似ている様に思う。まあ、見えを気にしますというのは、師の”隠れて生きよ”とは反発してしまうが、俗世に生きる私にはある程度許してくれよな。

へりくだる。心をむなしくして、高ぶらないこと。
この「心をむなしくして」というのがミソですね。「謙虚」の「虚」とは、心を空っぽにすることなのです。「虚」というのは、実は中国哲学、特に老荘思想では重要な漢字の1つです。現実的な利益を追い求めることをやめ、よけいなことは考えない。そうやって心を「虚」の状態、つまり空っぽにすることによってこそ、人生の真実に到達することができるというのです。
出典 漢字文化資料館 「謙虚」とは「へりくだる」「ひかえめ」といった意味ですが、この意味と「虚」という漢字とが、いまひとつ結びつかない気がするのですが……。


今年買った服の布教。↓です。私の今年の買い物ベスト3に入る。毎年買う。
エアリズムコットンオーバーサイズTシャツ(5分袖)
(他の買い物ベスト3はヘビロテしている業務スーパーのコーヒー豆と、くそ雑に始めた投資信託)

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