響~小説家になる方法~  感想に代えての自分語り

 30歳を目前ともすると、自分より年若い人の成功も当たり前のように転がっていて、悔しいとかそういう感情は持たなくなっていた。
 高校生の頃は、甲子園に出ている野球部員や、部活の後輩に先にいかれた時に、毎回きちんと負けたという気持ちがあったけれど、最近はそういうのもなくなってしまっている。 

 漫画を読んでいて「そういえば、俺は小説家になれなかったんだ」ってことに気づいた。
 俺は高校生の頃まで、漠然と小説家になれると思っていた。小学生の頃から図書館、図書室で本をたくさん読んでいたし、中学生高校生の頃はライトノベルばかり読んでいた。スマートフォンなんて持っていなかったし、無かったから、中学生高校生の頃は月に50冊は誇張無しで読んでいたと思う。大学入ってからはネット小説ばかりだけと、文字だけはずっと摂取していた。
 一度中学生の頃に、携帯で2000文字程度の文章(ゼロ魔みたいな世界観のファンタジーもどき)を書いた以外は、全く創作なんてしていなかったけれど、小説家になるんじゃないかと思っていた。

 結局俺は小説を書かなかったので、小説家にはなれなかった。
 理由は単純で、書きたいものが漫画の中の彼らにはあって、俺には無かったということだ。文章の巧拙、商業的にどうなのか、という以前の問題だった。

 創作に対してのコンプレックスがあって、そのコンプレックスから、創作者には必ず才能があると、俺は思い込んでいるところがある。
 才能が俺には無いから、創作ができないのだと。

 伝えたいことがあるってのは才能だと思う。
 内向的な人間なので、人に何かをちゃんと伝えるってのはとても苦手だし、そもそも伝えたいとすら思わない。
 自分の選択で他人に何か変化を与えたくない。一生受け身でいたい。

 自分が、こうであること。何にもなれなかったことに、不満は無いけれど、才能への憧憬は人一倍ある。
 
 天才が好き。

 自分にはできないことをやる姿が好き。
 自分の得られなかったことに理由ができるようで好き。
 私が何にも成れなかったことにおいて、私が悪くないと思えるので好き。

 逆に凡夫の努力が嫌い。

 天才が私と違う在り方であることを今日も願う。

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