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へなちょこな故障体験記


近頃、自分に起きる事といえば、知っている!と言いたい事だらけ。簡単に予想できるのに、なかなか思い通り、その通りにならなくて四苦八苦している。そして、極めつけに足を痛めてしまった。気付くと、小走りが出来なくなっていた。この事さえも、知ってる!と負け惜しみではなく事実、言いたくなっている。

中年以降の運動は、故障に気をつけないといけないと、ずっと以前に耳にしていたのに、久しぶりに動けたことに身体が喜び過ぎていたのかもしれない。

・足を上げられる
・足を軽く胸元に引き寄せられる
・でも、走ろうとするとおかしい
・春先に左膝を床に打った
・左膝を庇っていたのかもと思う
・左膝の時と同じで、降りる時に少し不安
・11月から軽くランニング
・週に2回前後

メモを片手に、Twitterでフォローしている岩松もじゃ先生の接骨院を目指して、先ずは武蔵小杉駅へ到着。

蟹ヶ谷スポーツ接骨院のアクセスページ から大きな地図へ飛ぶと、杉10というバスが見えたので、武蔵小杉駅だと分かり、その後、川崎市バスの運行系統図から6番乗り場を発見!

足を動かさなければ、痛みを感じないぐらいではあるので、バスの運行表を見ると、呑気に等々力アリーナへの杉40「とどろきアリーナ前」を目で辿ってみたりして、いやいや、そんな場合ではないぞ、と、目的地の蟹ヶ谷を探す。

小杉駅北口 ロータリー
6番のりば 蟹ヶ谷停留所までは24分

乗る時に注意しないといけないのは、杉10には終点が二つあるということ。一つは目的地の蟹ヶ谷停留所。もう一つは、井田営業所前。


こんな事をわざわざ書いているというのは、懸命なる読者の皆様はお分かりの通り、井田営業所まで出かけてから、そこから蟹ヶ谷行き(無印)のバスにも乗ったから、分かっているんですよね。

ちなみに、溝の口駅からも20分の距離。お昼ギリギリに到着したので、15時の次の診療開始時刻まで、遠征していたのでした。

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私の体に起こった事やその周辺を書いているのは、正確さには欠けていたとしても、少なくとも自分がその場で感じた事は間違いなく事実だから。ただ、だからこそ、四つの窓をかなり意識するようになった。「自分が気づけなくて他人は気付くという窓の存在」が色濃い闇のように見える気もしていた。

そう言葉に出せない何かを思っていたけど、先生に、私の身体についての同じ窓を教わって、確かなコミュニケーションの在り方を学んだような気がしていた。して頂いた事は、治療なのだけど、今まで受けていた病気の治療とは、かなり趣きが違う。言葉をあててみると、カウンセリングとなるのかもしれないけれど、精神的なものとは、また違うように思う。サウナの時と同じに、それを、どう呼ぶのかは私は知らない。

接骨院なので、普通に病院にかかる時と同じに、いつから、どこが、どんな風に痛むのかを説明するところから始まる。

主訴という、自分が今一番気になっている事をまず伝える。
今回は右膝がうまく動かない。歩く事は出来るけれど、小走りが出来なくなったこと。
階段の昇りに不安が多少あり、下りには怖さを少し。左膝を春先(といってしまったけど、5月頃だったかも)に滑って床に打ち付けてしまった時と同じような感覚があったので、不安になって伺ったこと。

左の膝を床に打ちつけて、すぐに整形外科を受診して、念の為にMRIを撮った事。その際、後十字靭帯が少し緩んでいて、亀裂も細かく入っているから、サポーターをするように指導を受けた事を伝えると、先生は膝に水が溜まっていましたか?その時に血が混じっていましたか?と、それまで、とても優しいお話ぶりだったのに、少し厳しいお顔でそう仰った。

いえ、水が溜まってもいませんでしたし、膝から何も採取もしませんでした。

溜め息らしい溜め息は聞こえなかったけれど、MRIを撮った手前、何でもないといえなかったのかもしれませんね。大袈裟にいう"医者"っているんですよ、と呆れた感じで、先生が肘の怪我をなさった時に、その筋では有名な先生の治療を受けた時のお話をして下さった。

続いて、どんな風に痛いのかと質問されたので、最初に書いた"小走りがうまく出来なくなった事"を伝えながら、実際少し走って、見てもらおうとした。右足を上げる事は出来るけれど、うまく着地させられないのと、着地した後、怖さを感じて足を上げられないということも。

階段を登るのも、足を胸元に引き寄せるようにするのも出来るのに、小走りだけが怖くて出来ないとお伝えすると、膝が崩れているんですねと聞き慣れない言葉を教わった。

そのあと、骨の仕組み、それから、太腿周りの筋の名前を教わり、その辺りに炎症を起こして痛みを感じているから、電気治療をする事になった。

11月に入るまでは、運動らしい運動をしなかったから、左膝が動かし辛くなっているのに気付かなかったけれど、ランニングをし始めて、左膝を庇うように、右足を早く着地させようとしていた気がしますと付け加えたので、両方、バランス良く電気をかけましょうという事になった。

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足に電気が流れ始めると、こそばゆい感じがした。ちょうどお風呂に入った時の、暖かいお湯に入ったのと同じような感じ。水に濡れた感覚はないのに、お湯に触れたような感触はある。

電気を流してもらって、何か変わるのかなと疑ってはいないけど、正直、信じられる根拠もなかった。でも、施術が終わってすぐ、足が軽くなったのがわかって不思議に嬉しくて、すぐに、調子良く動かし始めると、また、少し痛みを感じたので、暫くは大事にしないといけないと流石に認めざるをえなかった。足を上げられるけど、下ろすのが不安とか言ってる場合じゃなかったかもしれない。


先生が痛い場所をマッサージして下さる時に初めて治療だと意識したかもしれない。これまで、マッサージというのは、どちらかといえば気持ちのいいもの、時に痛気持ちいいものだったけど、今回は痛い場所を当ててもらう楽しさの直後に軽く悶絶してしまう。

マッサージをして貰いながらのアドバイス
運動再開し始めてすぐは……

一回を少なく週に沢山、運動をするのがいいということ。
一回に量を多く、週に回数を少なくだから痛くなったということ。

でも、先生、たった3キロしか走っていないんです!

それでも、身体を動かすのに十分な筋肉が無かったから、痛みを感じるようになったんですよ。

それから、今回、主に私の痛めた筋肉の名称を教えてもらった。

大腿筋膜張筋(だいたいきんまくちょうきん)外側広筋(がいそくこうきん)
腸脛靭帯(ちょうけいじんたい)
縫工筋(ほうこうきん)

主に太腿だった。

短い距離のランニングだったけど、無理をさせていたのかもしれない。


それでも、先生に動くのを許可して貰いたくて、お休みをしたら元に戻ってしまうというか、(筋肉が)なくなってしまうのが残念で、というと、逆に僕は元に戻ってしまうぐらいの方がいいと思っています。一度、元に戻して、また、積み上げていきましょうと諭されてしまう。先生、そうかもしれないけど、それは嫌なんですとは言えず、分かりました、と項垂れながら小さくお返事するしかなかった。

それでも、上半身は動かしてもいいですよねと聞き分けのない子供みたいに食い下がると、それはいいですよと仰って頂けた。

そもそも、走りたいのは投げたかったからなんです!と、つい告白してしまうと、投げる為にサンドボールというのがあると教わる。

院長先生の方が野球は詳しいからと次の来院の曜日も決まった。




最後に内臀筋のテーピングをして貰いながら、先生からは、痛みがなくなるまで動かしてはいけないと釘を刺されながら、その日は帰宅。

✳︎

翌朝、雨の日だったのに、いつも通りの時間に出てしまったので、遅刻してしまった。
職場についてから、気付いたのだけど、出来なかった小走りが出来ていた。
まだ、完全ではないから、少し落ち着いてから膝下がまた痛み出したけど、でも、よく考えてみたら、走れなかったのにもう走れていた。

電気をかけてもらう意味が、身体の反応で分かったと思う。ちゃんと治療を続けて、動きの悪くなっていた左膝も動かせるようになりたい。

身体と感情と理性というのを、思い出して、今、強烈に感動している。軽く故障して痛みさえあるというのに、何を言っているんだと思う一方で、私は今、その三つを強く意識している事も楽しんでいる。たしかに手綱を引いているのは、この文章を書いている"わたし"だ。そこに、コントロールの容易でない、気持ちと身体がある。この考え方を知った時には、その区別が付かなかったけど、今の私は違いが分かる気がしている。これも、学びなんだというのが分かる。意味など分からなくても、とりあえず詰め込んでおいたら場面がきたら、それだと分かるというのは、こういう事かとも思った。でも、こんなに明確に分かる機会は、そうそうないから、先生に教わったストレッチのように、それだと教わるという時間は貴重なのだと思う。

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