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若者ことばは言語の成立過程じゃないか?

※私は言語研究者ではありませんので、記載内容の真偽、信憑性について保証できません。できるだけ正しいと思われる内容を記載していますが、何か間違いがあればご指摘ください。

若者の日本語の乱れは昔から叫ばれている。

古くは平安時代、清少納言も当時の言葉の乱れに遺憾の意を示していたという。

※現在でいうラ抜き言葉のような乱れが当時あったため、それに対して否定的だったようだ。

いわゆる、ググる、ドヤるなどの若者ことば

大阪教育大学が発行している若者ことばに関する資料を発見した。
※この資料は決して日本語の乱れを否定しているわけではありません。

代表的な若者言葉に「体言+ル」というのがあるらしい。

代表的なものでいえば、「ググる」「ドヤる」「サギる」などが挙げられる。

動詞化の歴史は古く、1692年の狂歌集「後撰夷曲集」では、「料理」を「料る」と表現した言葉が見つかっている。

これらについて、ハタと思い至ってしまった。

元々、言葉は名詞が先に存在し、それらが動詞や形容詞に変化していったのではないか?

いや、むしろ、名詞と動詞という区分けも存在せず、具体的なモノを表す言葉のみで会話をしていく中で、少しずつ細かい表現が生まれていったのではないだろうか?

実際に動詞化された言葉の例

例えば、「食べる」の語源について。

まず、「食べる」。「食べる」の語源はなんだと思います?僕も知りませんでした。

「食べる」の語源は賜わる(タマワル)なのだそうです。つまり、「神の賜り物」という考え方がこの言葉に含まれているのです。

(中略)

一方、食う(クウ)の語源は?

一方、食う(クウ)の「ク」は食物の総称を意味します。その「ク」が動詞化してクウとなりました。

食ふは動詞化された言葉だった。

「くふ(食ふ)」とは、クという食べ物を表す名詞があり、「ク+ふ(う)」による動詞化によって、食事をする意味になっているようだ。

では、「たまはる(賜る)」の場合、どうか。

「たま」という言葉は、宝石や宝を意味する「玉」や、命や魂、霊を意味する「タマ」など、「大切なもの」という意味のニュアンスがありそうだ。


食ふの場合は、「名詞+ふ」の動詞化だった。
これを「たま」にも当てはめてみると、「たまふ」となる。

これは、古典ではお馴染みの、「給う(たまふ)」であり、「与える」「授ける」という意味になる。

「たまはる」の場合、「もらう」という受動的な表現なので、「名詞+は+る」の表現なのではないだろうか。

じゃあ、「言ふ」は?

「言ふ」の場合、どうだろうか。
「い」は「異」と言う意味があり、普通と違うことや、不思議なこと、物事が変化するというような語義がある。

言葉を発するとは、物事に対して変化を働きかける手段という意味から、「い+ふ」で、「言ふ」となったのではないだろうか?

仮説:
「名詞+ふ」・・・能動的な動詞化
「名詞+は+る」・・・受動的な動詞化

原始の時代の会話を想像すると

Aさん「ク!」(そこに食べ物があるよ!)
Bさん「ク??」(食べていいの?)
Aさん「ク。」(食べよう。)

的な会話だったのではないだろうか?

原始の日本語は一音で表す意味の範囲が広かったのかもしれない。

別記事でまとめています。

日本語には一音づつ意味がある?一音一義説について

だから、発音方法は英語などの言語と異なり、単母音へと発達していったのではないだろうか?

まとめると

言葉が生まれる時、抽象的な語よりも、それ単体で具体的な意味のある語である名詞が先に存在していると考えるのが自然だ。

赤ん坊のように、レンジを「チン」としたり、車を「ブーブー」としたり、何かの鳴き声や音を真似し変化して言葉になったのか、さまざまな仮説があるが、とにかく、名詞が先に生まれ、それを動詞化すると言う流れが必然ではないだろうか?

だから、若者ことばの「ググる」「ドヤる」などの「体言+ル」活用も必然的な発生かもしれない。

むしろ、大人よりも先入観の少ない若者の言葉を観察することで、言語の成立過程に迫ることができるかもしれない。

何故なら、彼ら若者は、利害損得や、社会価値通念、規範にとらわれず、相手に意味を簡潔に伝わりやすくするための言葉を創造しているのだから。

そんなことを思い至った一日でした。

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