自分が会社を“買う”のと、会社から自分が“買われる”の違い 〜働きたくないという感情の本質〜
日本の国民の三大義務
教育・納税・勤労
人は皆生きていくために働かなくてはならない
大抵の人は飯を食うために働く
“ライス”ワークだ
働くことが好きで、人に貢献することに対して喜びを見出す人もいる
“ライフ”ワークだ
ライスワークでは本音では働くたくないのに[have to]で働かされている感覚だ
だからワークライフバランスという考えが出てくる
ライフワークでは心の底から働きたい[want to]という強い意思で自ら働いている感覚だ
それをワークアズライフという
つまり働くことが人生そのものなのだ
…
人はデフォルトで“働きたくない”生き物なのだろうか?
そのことについて人間の本能を元に考えてみたい
アメリカの経済・社会学者であるソースタイン・ヴェブレンが人間の本能についてこう語っている
「近代社会は人間の本能のうち競争と略奪(所有)の2つにしか着目していない。他にも人間の本能には、好奇心やワークマンシップ(製作本能)、他者に対する親愛の情などがあるはずだ」
人間の本能として好奇心やワークマンシップ(製作本能)、他者に対する親愛の情がデフォルトで備わっているとしたら
その目的を果たす(本能を満たす)ために“働く”はずである
すなわち
人は本来、本能に従って“働きたい”生き物なのではないか
その本能を満たすことが出来ている人はきっと
ワークアズライフという良き人生を謳歌しているのだろう
…
ではなぜ近代ではワークライフバランスとかいう耳触りのいい言葉を信じて
“働きたくない”のに“働いている”人が多いのだろうか
ヴェブレンの言葉を借りるなら
「近代社会は人間の本能のうち競争と略奪(所有)の2つにしか着目していない。」
というのが理由ではないだろうか
資本主義の暴走によって競争は激化し、略奪するのが当たり前な世の中だ
戦国時代であれば目に見えて人が死に、物が奪われるから実感として感じやすい
ただ
複雑巧妙化した近代社会ではジェントルマンの仮面を被ったマイルド・ジャイアンみたいな奴らが平気な顔をして競争・略奪をやってのける
会社員は大抵自分の労働力を搾取(略奪)されていると思った方がいい
公務に就く身分の者も所有という目的(本能)に執着するあまり
保身という手段を選び誰のためになっているのか分からない公務を平気な顔してやってのける
公務員は安定していていい職種だというのは事実だがそこを過大評価しすぎると真実を見誤る
隣の芝生は青く見えるものだから注意すべきだ
そんな世の中では好奇心やワークマンシップ(製作本能)、他者に対する親愛の情という本能を発揮しにくいし
その本能の持つ力が正当に評価されることなく看過されてしまう
その本能を発揮できればライフワークとして
個々人が自ら主体的に働く気になり
社会全体がまさに親愛の(愛)情によって包み込まれて
人々が手を取り合って【共創】していけるはず
なのに
【競争】に執着した世の中では
人々の心は疲弊してしぼんでいき
自分の身を守る(保身)ことしか考えなくなり
とりあえず飯を食って生き永らえていくために
ライスワークに励む
つまり
“働きたくない”のに仕方なく“働いている”訳だ
そしてワークライフバランスが大事だと自らを正当化したがる
ワークライフバランスだとか言っている人たちの仕事はそのうちAIが肩代わりしてくれるだろうから心配いらないのではないだろうか
なぜなら
本当に競争したければヒューマンエラーを出す欠陥だらけの人的資源を使うよりも
ムダ・ムラが限りなく少なく
完全にコントロールされたAIという資源を投入した方が圧倒的に成果が出せて
競争に勝てるからである
完全にコントロールできる組織を作る上で人間はノイズになり得る
人間とは不確定要素を多分に持ち得る醜くて愛らしい存在なのだ
つまり競争の世界で生きていたい人達は“AIを駆使できる人“に絞られていくのではないだろうか
…
好奇心やワークマンシップ(製作本能)、他者に対する親愛の情
それらの本能を元にライフワークに就くためにはどうしたらいいだろうか
キーワードとしては
会社から自分の能力を“買われる”のではなく、自分がその会社の理念を“買う”
という考えに行き着くのではないだろうか
近代社会ではこの“買われる”というのが大前提として当たり前になっている
皆“買われる”ために必死になって勉学に励むしスキルを習得する
その結果知らず識らずと【競争】が通奏低音として流れ始める
そもそも“買われた”身なので自分に求められた仕事さえ果たしていればそれでいい
自分さえ良ければそれでいいという自己保身にも陥りがちになるはずだ
さらには“労働力として買われる”訳だから
デフォルトとして略奪・搾取されている構造に陥りやすい
コマ扱いされたり歯車の1つとして扱われるということだ
下手をすると奴隷よりもひどい扱いを受けることになりかねない
大昔の奴隷は代わりがいないから大事に使うが現代では代わりはいくらでもいる
そんな地獄の中でワークライフバランスとか言って自己肯定していて良いのだろうか
そんな地獄から抜け出すために
自分がこの社会で成し遂げたいことはなんだろう
自然とエネルギーが湧く事はなんだろう(才能)
自分を自由にするためにやりたいことはなんだろう
そうやって自分の本能(本心)と向き合い
それを叶えることができる会社・組織の理念を自ら“買う”という意識を持つ
つまり
本能に従って、自分という人的資源を投資してリターンを得るために尽力する
会社・組織の舵取りを他人に任せるのではなく
自分も舵取りに参画する意思を持って仕事に臨む
組織に依存しないでフリーに働くことでもそれは実現可能だ
それが出来ればワークアズライフとして
人間らしく
良き人生を謳歌できるのではないだろうか
…
好奇心・ワークマンシップ(製作本能)・他者に対する親愛の情
誰にも人間としてのそんな本能はあるはずだ
どう生きていけばその本能を満たすことができるか
問い続け、考え続けることでしか救われない
思考停止していたら北斗の拳のケンシロウからこう言われそうだ
「お前はもう死んでいる」
…
死にたくないな。
(本能的に)
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物事の本質について考えて記事を書いているつもりですが、その本質というのも私という“一つの視点“からみたものに過ぎません。
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