電車の運転士になりたかった話

電車が好き

知ってる人も多いと思いますが、何某は電車がすきです。物心がつき始めた頃からずっと電車が好きでした。よく休日にいるお父さんに抱っこしてもらって前面展望をみているような子でした。
小さい頃には万世橋という所にあった交通博物館に連れて行ってもらったり、大宮にある鉄道博物館に何度も行きました。
親戚のおじさんと、絶対に飛行機の方が早い北海道新幹線が開通してない頃青函トンネルをくぐって電車で函館まで行ったこともあります。仙台から青春18きっぷを使って在来線を乗り継いで柏まで来たこともあります。北陸新幹線が開通していない頃、のぞみに乗りたいがために乗り継ぎが悪い名古屋乗り換えで帰省させてくれたこともあります。
他にも青春18きっぷで1日長野の方まで旅をしたりと、親戚のおじさんは電車の旅によく連れて行ってくれました。母親も帰省の度に何某のわがままを聞いてくれました。

そんな何某ですが、やっぱり小さい頃から夢は電車の運転士になる事でした。
幼稚園の七夕には当然のように電車の運転士になりたいと書いてましたし、小学校に入ってからも短冊に書き続けていました。中学校に入ってからもしばらく、プリントに将来の職業に鉄道運転士と書いていました。
電車の運転士になる事が何よりも楽しみなことで、鉄道博物館のシミュレーションなどもよくやっていました。

突然の出来事から

ところでまだハンド部だった時、内房線に乗る機会があり、ふと前面展望を楽しもうと思った時、千葉駅の信号で色の判別がつきませんでした。
そんな色弱の何某ですが、小学校4年生の時、学校で色覚検査がありました。

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こんな感じのやつ、やりませんでしたか?この試験、数字が見えるかどうか判断するものなんですが、何某には数字が見えません。
小学校でやったとき異常ありと手紙を渡されて、小学校6年の時にメガネを作る時に眼科で診断してもらったのですが、やはり色覚異常でした。
中学校3年になって進学のことを考えなければいけなくなった時、もう一度調べようと更に詳しく診断してもらった結果「D型色弱」と診断されました。

進学

小学校の時に色弱と診断された何某ですが、まだ小学校の時は色弱をあまり理解していなくて、電車の運転士になれると思っていました。その当時、テレビで岩倉高校という全国でも珍しい運輸科という鉄道会社への就職率が良い学科があるということを知り、ここに行きたいと思いました。
しかし、受験が近づいてきて調べるにつれて色覚異常があると運転士になれないという情報がはいり始めました。
そんな中、学校説明会の季節がやって来ました。
やはり行きたい学校ではあるので岩倉高校の学校説明会に行きました。そこで相談会が開かれるので参加することにしました。
相談会では、色弱であること、運転士になりたくて運輸科に進学したいことを伝えました。
そこで告げられたのは苦しいものでした。

視機能
一 視力(矯正視力を含む。)が両眼で一・〇以上、かつ、一眼でそれぞれ〇・七以上であること。
二 正常な両眼視機能を有すること。
三 正常な視野を有すること。
四 色覚が正常であること。

視力は矯正視力が認められているので大丈夫ですが、色覚が正常であることが運転士になる為の最低限の条件でした。
この現実を突きつけられ、運輸科に進学することを諦め、電車の運転士になることを諦めました。

まとめ

運輸科に進学することを諦めた何某ですが、相談会の時の先生がとてもよかったので併願推薦校は、岩倉高校にすることにしました。そして教えることが好きだったので先生になろうと思いました。そこで塾の先生に勧められた小金高校を受験することになり、無事受かりました。
今、1Aのツイ廃という人間関係に恵まれ、毎日楽しい(英コミュ除く)学校生活を送らせてもらっています。
ほんとにツイ廃最高!!!!これからも仲良くしてくれると嬉しいです!