私の守り方
久しぶりにめちゃめちゃ激病みした。
先ほどのnoteです。
めちゃくちゃ躁鬱で草
手首ボロボロになった。
瀉血して、ワイン爆飲みして、来週もらう予定の薬全部飲み干して、橋から飛び降りてやろうと思った。
私は、私を守る人をずっと探しているような気がした。
誰かの気を引きたい、そんな寂しさから誰かを悲しませてるんだと思った。
同時に、私には自分を救おうと思う力がないんだな〜と思った。
力を抜いていいところと力を入れるところの加減がわからない。
ちょうどいいがわからない。
1人で生きていこうとずっと思いながら生きてきたけど、今度は誰かと一緒じゃないといけないし人をもっと頼っていいんだって思った。
なになにしないといけないって考えちゃうあたり、本当に両極端だなと思う。
それを上手く組み合わせることができたら、私はもうちょっと人生を心地よく歩くことができるだろうか。
本題に戻るが、自分で自分を救おうと思わないと、自分のことは救えないと思う。
誰かに助けてもらおうなんて思っても、私が変わる気無かったら変われん。
私が人を励ます時、私は何を言ってるんだろうって思う。
友達が悲しい時、家族が悲しい時、嬉しい時、寂しい時。
私はきっとその人にとって私なりの愛をぶつけているのだと思う。
私はあまり自分と対話しない。
自分のことを励まそうとしたり、悲しい時に慰めたり、嬉しい時によかったねと褒めてあげたり。
そんなことをしない。
できるようになりたい。
人は変わろうって思った時から変わり始める。私がどれだけ昔に言われただろうか。
中3ぐらいのときにととろに言われた。生きてるかな。
あと、生きてるだけで丸儲けって言われた。
確かに、私は誰かと喋ってるだけで、誰かと一緒にいるだけで、生きることができる。
自分の足で立って、お金を稼ぐこともできる。
お金とか時間とかももちろん大事だけど、でも、それ以上に自分のことは自分で守らないといけないなと思う。
守ろうとしてくれる人に対して、私が私を守る気がなかったら、とても失礼だなと思う。
私は私にもうちょっとわがままに生きていいのかなと思う。
もう少し、不真面目に生きてみたいと思う。
真面目に型にハマっていた方が楽だけど、私はちょっとズレて居たい。
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