「ジェンダー論」の看板を降ろします。

バーチャルAV女優のKarinです。
タイトルの通り、今年をもちまして一旦、

「バーチャルとジェンダー論を語れます」

という看板を降ろします。

唐突で、沢山の方に期待していただいたところ申し訳ありません。
この記事で、きちんと理由をご説明させていただきます。

端的に申し上げると、「知識不足」と「 #私がエビデンス 化への懸念」です。

「知識不足」について

「より正確に言えば、“論”と広範な括りを使った上で話すほど、知識が体系的に洗練されていない」という点です。
個別の事例ではなく、説得力のある「論」にするためには、そもそものジェンダーに関する広範な(過去の議論も含めた)知識が必要だと痛感しております。
過去に全く学んでいないわけではないのですが、言ってしまえば、「やたらフェミニズム的内容に寄った大学の授業」と多少の書籍で仕入れた知識だけであり、自分の中でそれを統合できているとは言い難いのが実情です。
また、2017年の段階から、個人的にいわゆる”異性アバターを操演した時の人の反応”に対して興味を持ちアプローチを続けていたことから、「この分野は自分一人でスペシャリストにならないといけない」という気持ちが先行しすぎていたと思います。
結論としては、「経験」に寄り添いすぎた為にあらゆる点で先走ったのだと自己分析しています。この「経験」に対する懸念は「#私がエビデンス」に通ずるところがあると考えているので、次節で詳しく書きます。

ただ、どうしても自分で考えたい、追求を続けたいと言う気持ちは残っておりますので、知識不足は克服したい、克服して、今度こそ恥ずかしくないように戻ってきたいと考えています。

「#私がエビデンス」化について

2018年6月ごろから、「#私がエビデンス」というタグに多数の告発と、言葉に対する客観性のなさを指摘する批判が多く寄せられたのを覚えていらっしゃるでしょうか。
あのタグの主戦場は主に「性犯罪とフェミニズム」に限定されていましたが、正直に言えば自身の活動・主張も同じ論理で批判されて然るべきだと考え、戦々恐々な時期がありました。
結局、私たちのしていることはまだきちんとした調査やエビデンスが存在するわけではありません。
いくら言葉を重ねても、いくら主語を小さくしても、「ジェンダー論」という、精密に客観性を考えなければならないセンシティブな学問領域にとっては、未だ私たちの体験は「個人の感想」に過ぎず、時期尚早として扱いきれない部分だと思います。(この客観性と主観性の難しさは、VRChatの「断頭台ワールド」騒動にも現れていたと思います。)
にも関わらず、私が「ジェンダー論」という客観性が必要とされる分野について語ろうとするのは、少なくとも今は不適かと考えるようになりました。

これからについて

まず、基本の「バーチャルAV女優」という活動については新年からも特に変更はありません。
「ジェンダー論」を名乗って自分の体験に基づいた発言をすることは、今後、少なくとも既存の「ジェンダー論」の文脈を学び直すまでは控えます。(それ以降も、それこそフェミニズム関係の教授の方などを見ているとあまりよくない気がしていますので、よく検討します。)

一方で、「自分の体験に過ぎない」ことを明確にしながら語ることは続けていきます。ここまで自粛してしまうと、それこそ既存のジェンダー論を研究されている方々がバーチャル関係の文化を調べたりされる際に情報がないことになるので。

まとめると、「ジェンダー論」の看板は降ろしますが、性に関する考え方など、自分の中から出てきたことについてはきちんと発信を続けます。
少なくとも「自分と似た誰か」や興味のある皆さんの役に立つとは思うので。

それから、むじなのーとも同じ理由で続けます。今後はむしろ、「勉強させていただく」意識で、既存のジェンダー論に造詣の深い方を招いたりしていきたいと思います。

現在コミケの待機列から書いていて、多少不備があるかもしれないのですが、今年のうちにはっきりさせておきたかった部分なので取り急ぎ掲載します。

来年も、今後とも、よろしくお願い致します。

バーチャルAV女優のKarinです。 「性別に囚われず好きな仕事のできる世界」を目指して、男性向けセックスワークをやっています。