ヒトリエと巡り会ったこと(音楽文再掲)

2021年3月12日金曜日の夜に掲載して頂いた音楽文の再掲です。当時、読んでくださった方、反応をくださった方、有難うございました。
音楽文は2022年3月31日に終了したサービスです。ライブレポートや音楽にまつわる文章を投稿し、審査の上、掲載されるものでした。私が投稿したのはこの一度切りでしたので審査の厳しさはどのくらいなのか不明ですが、投稿全てが掲載されているわけではないようでした。正直、私も落とされるだろうな、と思いながらの投稿でした。だいぶ暗めなので閲覧注意です。wowakaさんのこと、ヒトリエのこと、2021年春に吐き出した記録をひっそりと残させてください。


ヒトリエと巡り会ったこと
ボカロPではないwowakaさんと出会ったこと

音楽文2021/03/12(金)夜掲載


2019年4月5日wowaka 急逝、4月8日訃報が流れる。と、同時にヒトリエを認識した。

もうすぐ2年が経とうとしている。あの日から今日までずっと棲み憑いて離れない音楽を振り返ってみようと思う。自己満足に過ぎないが綴っていきたい。

文章を書くのも、想いを伝えるのも、得意ではないので乱雑になってしまうことが申し訳ない。


wowakaさんの曲を初めて聴いたのは「アンハッピーリフレイン」だったと思う。ボカロ曲を聴き始めていくらか経った時期だったので、既に他のwowaka楽曲を耳にしていたかもしれないが、記憶にあるのはこの曲だ。投稿されたばかりで、ニコニコ動画のランキングに載っていた。ガラケーから外出先で見つけたことが懐かしい。原曲はもちろん、歌い手さんの動画も含めて繰り返し聴いていた。詰め込まれた言葉数と高速で刻まれる音、少し不穏な歌詞に心を掴まれた。この頃から行き始めたカラオケでもよく歌っていた。少ないレパートリーの一つだ。
ボーカロイドも、ニコニコ動画など動画サイトも、私にとってはまだ目新しく、様々なボカロ曲を聴き漁っていた。それ故か、この頃から熱心にwowakaさんを追っていたわけではなく、数いる好きなボカロPの一人という形だった。


時は過ぎ、ボカロ曲を聴くことが減った期間を経て、ボカロ熱が再燃。特にこれといったきっかけは思い当たらず、たまたま気が向いてランキングなどを見始めた。それからしばらくして「アンノウン・マザーグース」が投稿された。とても嬉しかったことを覚えている。毎日のように聴き、当然ランキング上位にも入っていた。

「あなたには僕が見えるか?
 あなたには僕が見えるか?」
(アンノウン・マザーグース / wowaka より)

あのとき私には見えていなかった。見ていたのは初音ミクとボカロPwowakaだけ。生身wowakaは見ていなかった。
当時、この曲についての話をwowakaさんがTwitterにあげている。私は確かにそれを読んでいて、ヒトリエの存在も知ったはずだった。wowakaさんは3人のメンバーを集め、自分が矢面に立ちギターボーカルとして活躍していた。ほとんど全ての作詞作曲を手掛けている。出会うならこの時だった。この時にwowakaさんの声で歌うヒトリエを聴いていたら、何か変わっていただろうか。
現実はボカロ曲ばかり聴いていた私だったので、ヒトリエを深く知ることもないままだった。


さらに月日が流れ2019年。
外出先、Twitter上でその知らせを受けた。衝撃で言葉を失った。大好きな曲を作った人が、と突然のことで信じられなかった。それでも悲しみは今に比べると遥かに小さかったと思う。wowakaさん自身のことを何一つ知らなかったから。
この時になってやっと、ニュースサイトでヒトリエとして活動していることを認識した。wowakaさんが作ったボカロ曲を改めて聴き、ヒトリエの楽曲を聴き、昔のインタビューを読むような毎日が続いた。知れば知るほど惹かれ、そして悲しさが増していった。ギターを弾き歌う姿はとてもかっこよかった。鋭い音に綺麗な音、不穏さ、憂い、切なさ、喜び、怒り、哀しさ、光、愛、様々な表情を持つ楽曲があった。
詰め込まれた言葉が、緻密な音が、分かるようで分からないようで伝わってくる歌詞の空気感が、ひとりを叫ぶその声が、毒も薬も正も負もまとめて背負っていく姿が好きだ。
メンバーのことも少しずつ知っていった。ギターのシノダさん、ドラムのゆーまおさん、ベースのイガラシさん。一つひとつの演奏にも注目して聴くようになったのはヒトリエと出会ってからだ。
このタイミングで聴き始めた後悔は尽きないが、間違ってはいなかったと思う。

「人それぞれの感情の、その色を溶かした匂いがして
 眩しすぎたそれは今も僕を笑って指差してんだ」
((W)HERE / ヒトリエ より)

感情が色彩を持ち、さらに匂いを纏い、そして光を発して感情表現をする。このような感覚を美しく言葉にする彼に惹かれた。


6月1日に行われた追悼会の配信画面の中ではシノダさんが歌っていた。数ヶ月聴きかじった程度の私では声以外の違和感を感じ取れないくらいに、かっこよく圧倒された。泣きながら3人の姿を見ていた。

6月30日、7年前に初めてヒトリエと名乗った日、色々な感情が抱えきれなくなってTwitterアカウントを作成した。 
出会ってしまったこと、タイミング、罪悪感、もういないこと、向こうの世界の存在、これからのこと、これまでのこと。まとまりのない思考で埋め尽くされていた。
「好き」への疑い。本当にヒトリエが好きなのか。これまで経験したことのない「死」という大きな悲しみに酔っているだけではないのか。

「きらい きらい きらい、いや好き
 跳ねる感情に逆らって
 今、今 思い出してんだ
 どちらかって決めなくてもさあ
 笑うことが出来ることをさあ
 そんなことどうだっていいってさあ」
(踊るマネキン、唄う阿呆 / ヒトリエ より)

この言葉を拠り所にしていた。それでも中々受け止めきれるものではなく。きちんと「好き」に向き合えたのはTwitter上で出会った方々のお陰だ。あたたかい言葉をかけてくださる方が何人もいて救われた。一時的な逃げ場として作ったアカウントが、今では様々な想いと時を共有できる大切な場所となっている。いつも有難うございます。


そして秋、HITORI-ESCAPE TOUR 2019が開催された。3人で全国を回ってくれた。私は運良くこのツアーに参加することができた。私にとっての初めてのライブだ。
これまで、ライブに行ってみたいと思うことはあったが、交通手段の確保や日程調整などの面倒臭さが勝って行動に移せずにいた。
けれども今回はそんなことは頭になく、どうしても行きたかった。こう思えたのはヒトリエが初めてだった。
当時発表済みの曲を聴き込んで迎えたライブ当日。会える期待と、初参加の緊張と、現実を直視する不安、様々を抱えて朝から落ち着かなかった。それでも一番占めていたの楽しみだったと思う。
初めて触れる生の音。「センスレス・ワンダー」の鋭いギターが高々と鳴り響く。その時間はあっという間だった。かっこよかった、笑った、歌った、跳ねた、泣きそうになった、楽しかった。有難いことに前方3〜4列目付近で観ることができたので、シノダさんも、ゆーまおさんも、イガラシさんも、3人の姿がよく見えた。参加する選択をして本当に良かった。終わった後は放心状態で、ふわふわとしたまま帰路についた。この頃になると、追悼会のときには気付けなかった違和感に少し気付けるようになっていた。足りない音がwowakaさんがいた証だ。


その後、過去ライブDVDの発売や周年記念ライブ、ベストアルバム発売、コロナ渦での配信ライブなどなどヒトリエはずっと進み続けていく。動きがある度に喜び、寂しさに涙し、ヒトリエとともにある毎日だった。


どの曲もそれぞれに魅力的なのだか、中でも初めて聴いたときの衝撃が凄まじかった曲がある。「Sister Judy」だ。まだヒトリエを聴き始めて間もない頃に出会ったそれは、再生した瞬間に衝撃を与えた。一音目から鋭く凝縮された音が鳴り響き、一瞬にして惹き込まれた。4人の息がぴったり合った演奏故に細かくやってくる一瞬の静寂、高速に紡がれる言葉、左右で鳴り響く2本のギターに、下から支えながらうねるベース、緻密なドラム、進むにつれて熱量を増す歌声、様々な魅力が、たった2分14秒に詰め込まれている。曲の終わりからハウリングによる「モンタージュガール」への繋ぎも圧倒される。

「踊り疲れはしない世界へ
 今こそ、君を連れ込むんだ。」
(Sister Judy / ヒトリエ より)

この世界に連れ込まれて抜け出せないままだ。このまま浸っていたい。


2020年12月にはついに新曲が発表された。
情報が出てから数日間、気が気でない日々が続いた。3人で作る曲がどんな形になるのか全く予想ができなかった。今までと大きく変わる可能性、欠けたものは、好きになれるのか、好きになりたい、楽しみだ、早く聴いてみたい。不安と期待とがごちゃごちゃとせめぎあう。
12月7日深夜0時、日付が変わると同時に配信された。
「curved edge」
恐々と再生し流れてきた音は、ごちゃごちゃと抱えたものを呆気なく吹っ飛ばした。とにかくかっこよかった。素直に好きだと思えた。安心した。それなのに涙が止まらず、その日は中々寝付けなかった。
当然何かが違うけれどちゃんとヒトリエの曲のだ。4人で作ってきた過去があったからこその曲だ。どうしても現状に重ねてしまう歌詞と、3人で鳴らす音が突き刺さる。
3人の曲を初めて聴いた衝撃は、「Sister Judy」を初めて聴いたときに似ていた。


その後、アルバム発売に先立ち、
「curved edge」「YUBIKIRI」「イメージ」「ハイゲイン」とMVが公開されていった。
どの曲も涙が溢れてしまうほどの想いが詰め込まれている。3人それぞれ作曲しているがヒトリエに違いなかった。

ずっと出会ったきっかけが引っかかっていた。なぜ出会ってしまったのか。リーダーが生きていれば出会わなかったはずだと。一度聴かない選択をしていた自分に悲しむ資格なんてあるのか。

「風邪を引くかのように
 巡り会ってしまうんだもんな
 悲しい顔のひとつも
 あっちゃいけないなんてないさ」
(YUBIKIRI / ヒトリエ より)

何を意図したものかは定かではないが、この言葉に少しだけ救われた。たまたま、巡り会ってしまったんだ。


出来上がったアルバム「REAMP」は、発売前の配信ライブでシノダさんが言っていた通り、悲しみに寄り添ってくれる10曲だった。
地方住みなので発売日から少し遅れて手にした。彩り豊かな曲が揃っていた。高速に紡がれ叫ぶ曲、心地よく転がるような曲、ゆったり揺蕩う曲、お洒落でエレクトリックな曲。そして程度は違えどどの曲も悲しみの色が潜んでいた。曲を聴きながら歌詞を追う最中、何度も泣いてしまった。中でも特に胸を打たれた曲がある。

「うつつだね、ここはうつつなんだね
 夢じゃないね 寂しいね」
「とっくのとうに通り過ぎていた未来を
 愛しく焦がれるだけ」
(うつつ / ヒトリエ より)

ゆっくりと溶けていくようなメロディーに沈み込む。静かに語りかけるように寂しいね、と歌うその曲はとても近くで寄り添ってくれる。聴いている間中涙が止まらなかった。二つ目に引用した歌詞は、これ程までに的確で、こんなにも美しい表現があるのかと心掴まれた。きっとこれからも、叶わない未来を焦がれ続ける。


2年が経とうとしているが、まだまだ悲しみは癒えそうにない。しばらくはこのままで良いと感じる。wowakaさんの曲と、そして新たに「REAMP」の曲を聴いて過ごす毎日がずっと続いている。wowakaさんの残した曲には「唄う」「踊る」が何度も出てくる。もっと歌って、もっと演奏して、もっと作りたかったと思う。先の未来を見ていた。それを思うとどうしたって苦しくなる。
今、3人が進んでくれている。欠けた音はそのままに、そして地続きで新しい形もできてきている。私はwowakaさんの音を過去でしか知らない。過去ではなく、今として悲しむことも喜ぶこともできるのは、シノダさんが、イガラシさんが、ゆーまおさんが、繋いでくれているお陰だ。ひとりで音楽を始めたwowakaさんが、3人に出会って、バンドとして音楽を続けてくれて良かった。そしてこの先どうなろうと、今、続ける選択をしてくれている事実が嬉しい。

「ねえ、あいをさけぶのなら あたしはここにいるよ
 ことばがありあまれどなお、このゆめはつづいてく」
(アンノウン・マザーグース / ヒトリエ より)

これからもこのゆめがつづくのなら、こんなに嬉しいことはない。この音がどこまでも広がっていきますように。


長くなってしまったが、これでも語り尽くせない。
生身で立つあなたに出会って私は貰ってばかりだ。
たくさんの心躍らせる曲を貰った。光も陰も美しく表現する言葉を貰った。たくさん感情の揺れ動く時間を貰った。たくさんの同じ想いを共有できる人達に出会った。あたたかい人達に出会えた。ここはとても大切な場所だ。ヒトリエ4人と、そこから繋がることのできた方々に感謝している。
これからもヒトリエが好きだ。
ヒトリエと巡り会えて私は幸せだ。



それでも。



だからこそ。


もしも叶うのならば、と願ってしまう。



この文字全て消えて良い。

どうか、出会いませんように。
どうか、この先の未来に4人の音とヒトリエが好きなみんなの笑顔が溢れていますように。




あとがき。
読んで下さり有難うございます。
この投稿からさらに2年が経ちました。今もなお、悲しいのも寂しいのも、通り過ぎてしまった未来に焦がれているのも変わらず。それでもヒトリエは進み続けてくれています。wowakaさんの声と、シノダさんの声と、ヒトリエの音を聴き続けている毎日です。
当時とそれほど想いは変わっていませんが、重ねてきた時間が大切で手放すことが少しだけ惜しくなってきています。我儘だね。
この2年間でも配信ライブに新しい曲たち、ライブ現地参戦、遠征までたくさんの思い出ができました。ヒトリエから繋がれた方々とのお話もたくさんできて楽しい時間が積み重なっていってます。
3人が進み続けてくれているから、憧れていた経験をさせて貰えました。まだまだ泣いてしまうこともあるし、感情が溢れて聴けない曲もあるし、どうしようもなく苦しくもなります。wowakaさんが居る日々が遠くなっていくのも怖いです。けれど好きな気持ちはずっと変わらず幸せだと思えています。かっこよく居続けるヒトリエと、出会ってくれた方々に感謝しています。この先のみんなの未来に幸が溢れますように。
今日は2023年3月10日金曜日、10年後のルームシック・ガールズエスケープツアー高松から開幕です。私も後日参加予定で楽しみは続きます。

2023年3月10日金曜日夜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?