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【ネタバレありあり】クレしん映画が16年振りに面白かったので過去作と見比べつつレビューします

『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

観てきました。かなりおもしろかった。

クレヨンしんちゃん映画は2005年(3分ポッキリ大進撃)まではどれも名作でそれ以降は全部ダメ、というのが個人的な感想だったのですが(熱狂的回顧主義?)、初めて法則が塗り替わったので、つらつらと私見を述べていこうと思います。

寸劇パターンかと思ったらそうでもなかった

この映画のキービジュアルを初めて見たとき、かすかべ防衛隊の学園生活がモチーフということだけがわかったので、これまでの映画にはない「寸劇」の体裁を取った映画になるものと思っていました。

今までのクレしん映画は一貫して「かすかべに暮らす野原一家、もしくはかすかべ防衛隊(あるいはその両方、地域全体)が何らかのトラブルに巻き込まれる」という体裁を取るものばかりでしたが、原作では登場キャラクターたちが別の世界のキャラクターに扮して登場する「寸劇パターン」のエピソードがいくつも存在します。(人魚姫の登場人物に扮したり、江戸時代のキャラクターだったり)

「かすかべ防衛隊が学生になる」というのは、原作の設定と地続きに展開するのが難しい設定で、あくまでパラレルワールドとして彼らの学生時代を描くことになるものと考えていました。

しかし実際には、「幼稚園児の体験入学」という(やや現実離れした)設定で、彼らの生活の延長線上にあるストーリーとして描かれていました。

キャラクター達が映画の世界観に合ったコスチュームに扮して活躍する映画自体は『雲黒斎の野望』や『夕陽のカスカベボーイズ』にて既出ですし、キャラクター達が受け身でなく能動的に遊びに行った先でトラブルに巻き込まれるという設定も『ヘンダーランドの大冒険』や『嵐を呼ぶジャングル』と共通しており、さして新しいものとは言えなさそうです。

一方で今回の映画は、「なぜ彼らが体験入学をすることになったのか」という動機づけの部分が物語のテーマに強く結びついてくるのが"巧い"つくりになっていたように思います。

テンプレからの脱却

2006年以降のクレしん映画は「良かった時代の幻影」に囚われていました。

初期のクレしん映画は、原作者が存命であり制作スタッフも天才揃いだったので、「子供心を持った大人の悪ふざけ」を体現して作られていました。

ところが近年は「言い間違えギャグ」「派手なビジュアルの敵集団」などが記号化され、過去の名作を模倣した劣化版ばかりが作られていた印象があります。「意味不明な出来事が連続して、なんとなく盛り上がって終わり」みたいな作品も多かったように思います。

今回の映画はミステリーの体裁を取っていることから、わかりやすい敵キャラ勢力が存在せず、これまでのクレしん映画のお約束から外れて異彩を放っています。推理という要素が異質だったおかげで、中だるみ感が少なかったのも良かった。

しんのすけのギャグも心なしか控えめだった気がします。鼻につくギャグを見た覚えがあまりありません。

「原作の人間関係」の掘り下げ

2020年の映画『激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』は、しんのすけの落書きから生み出されたキャラクター達がしんのすけと絆を築き、最後には自己犠牲により消えてしまうというところに感動ポイントを置いた作品でした。

ただ正直なところ、ポッと出のキャラクターが王道の消え方をしたところで、大して気持ちが動かなかったというのが本音です。(強いて言えば、ぶりぶりざえもんは年季のあるキャラクターですが、ぶりぶりざえもんとの関係性の掘り下げという観点では、1998年の『電撃!ブタのヒヅメ大作戦』の劣化にしかなれていないように思います。あの映画はエンディングへの繋げ方まで含めて芸術性が高かった…)

一方で今回の映画では、ストーリーの主軸を飾るのは、「しんのすけと風間くん」という我々が長く慣れ親しんだキャラクター同士の関係性です。

かすかべ防衛隊のメンバー1人にフォーカスした映画は、『爆盛!カンフーボーイズ』以来2作目でしょうか。ただしあの映画はゴチャゴチャしていて掘り下げが甘かった気がします。「凡人のマサオくんがしんのすけの天才性に嫉妬する」という切り口自体はとても良かった。

「エリート志向の風間くんは近い将来かすかべ防衛隊の仲間たちと別れる日が来る」というのは、原作でもあまり語られていなかったものの言われてみれば確かに、と思える切り口。そのことに風間くんが悩んでいた、というのも原作の解釈として自然で納得感があります。そのことを本人の口からではなく、ひろしとみさえのやり取りから匂わせるのも巧い。

風間くんが抱えてきた気持ちを違和感なく想像できるからこそ、中盤にケンカをしてしまった理由もよくわかるし、終盤の展開にはこみ上げるものがありました。

ゲストキャラの「人間的魅力」の掘り下げ

一方で既存キャラだけでなく、ゲストキャラクター達もよくできていました。

特によかったのはチシオちゃん。陸上選手でありながら「全力疾走すると変顔になってしまう」というコンプレックスから走るのをやめてしまう設定ですが、コンプレックスを振り払い、「周囲に笑われてもいいから走ろう」というメンタリティに到達します。

素晴らしかったのは、チシオちゃんが容赦なくブサイクに見える作画をされているのに、それまでの展開や演出と併せるとカッコよく見えてしまうこと。

シンデレラや白雪姫がもてはやされたような一昔前の「美醜=善悪」の価値観であれば、彼女は変顔を克服して元の可愛い顔のままで走ることができる理想的エンドを迎えるわけですが、そうではなくコンプレックスを抱えたまま生きる決意をするのがとても今っぽい。

チシオちゃんだけでなく、他のキャラクター達も一歩踏み込んだ人間味があって良かった。

・スミコ先生が手紙を読むシーンにおけるセリフの、本人が抱えてきた葛藤と結びついた印象深さ

・サスガ君の犯行動機の「そっかぁ~なるほどそうだよね」感と、完璧主義ゆえのメンタルの弱さ

・ロロさんの人間嫌いだけど動物に対する愛情は人一倍強く、愛を注げば心を開いてくれるところ(サンっぽい?)

・番長の男気と素顔の意外性(伊之助っぽい?)

一方で唯一、アゲハちゃんだけはもっと掘り下げが必要だったように思います。作中の彼女の立ち位置は「主席を蹴落とす動機を持った容疑者の1人」であり「ノリはいいけどちょっと感じの悪いギャル」に甘んじてしまっています。終盤のレースシーンでも、生徒キャラの中で唯一レースに割り込んでいませんでした。たとえば、表向きは悪態をついている一方で内心サスガくんやチシオちゃんのことを心配しているようなシーンを30秒くらいでもいいので挟み込めば、彼女ももう少し有機的なキャラクターになったのではないでしょうか。

苦言を挙げるとすれば

これまで語ってきたように、この映画は総体としてよくできた映画だと思うのですが、「在りし日のクレしん映画の名作たち」と比べると一歩劣るかなという印象もあります。以下、苦言をつらつらと

お題目にある「本格ミステリー」は子供だましレベル
推理の結果だけを見れば、ちょっと納得感が弱いというか、取ってつけたような内容だったと思います。とはいえ先述のとおり推理パートがあることで中だるみを防げているし、作品本来の魅力とは関係ない部分なのでまあ、これはこれで別によいのかなとも思います。

大人向けのネタがない
私見ですが、大人向け雑誌の連載からスタートしたクレヨンしんちゃんが子供たちの人気を獲得した理由は、「理解はできないけど大人たちの世界をのぞき見しているようなワクワク感」にあったように思います。1999年の『爆発!温泉わくわく大決戦』はそれが顕著で、自衛隊や総理大臣、風俗街まで登場しており、大人になってから見るとかなり過激に作られているのがよくわかります。1997年の『暗黒タマタマ大追跡』はクラブとゲイバーが舞台として描かれていますし、終盤にひろしとみさえが歌う「愛は傷つきやすく」(ヒデとロザンナ)は、1970年発売の楽曲であり、映画の公開年から数えて27年前の作品です。もはや誰が分かるんだって感じ。こういう"あえて"子供を振るい落とすような表現が失われてしまい、悪い意味で分かりやすくなってしまったのが近年のクレヨンしんちゃんなのだと思います。

目をみはる美術表現がない
今作に限ったことではありませんが、『暗黒タマタマ』に代表される迫力ある肉弾戦シーンも、『ヘンンダーランド』に代表される意図的にパースを狂わせたアーティスティックな舞台美術も、空気感を纏ったジャングルや砂漠や田園風景も、近年では見ることがなくなりました。ただしこれは作画の手法や制作予算の変動もあるでしょうから、あまり贅沢は言えないのかなとも思います。

レースシーンは『オトナ帝国』の劣化かも
終盤のレースシーンは本作随一の見どころでした。しかしこの「大切なものを守るために全力で走る」という舞台設定、クレしん映画の金字塔の一角である『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)をどうしても思い出してしまいます。今作と比較してオトナ帝国の方が優れていると感じるのは、レースを見守る観衆の表現です。どちらも懸命に走るしんのすけ(あるいは野原家/かすかべ防衛隊)の姿に心打たれて気持ちを改める点は共通しているのですが、天カス学園では観衆のセリフや盛り上がりで気持ちの変化が表現されていたのに対して、オトナ帝国では観衆のセリフは一切なく、観衆の表情・後ろ姿とメーターの数値だけで気持ちの変化が示されている点が生々しく、洗練されたリアリティを持っています。自分の考えが否定される現実を見せつけられたとき、人はフツー無言になるものだと思うので…。

まとめ:一皮剥けたね

回顧主義的な視点から色々と苦言を申してきましたが、とはいえ現在の社会背景や作品の立ち位置の変化、制作上の予算や作画方式の制限などから、往年のクレヨンしんちゃんの名作の再来を期待することは難しいと思っています。

近年のクレしん映画が面白くなかったのは、そうした制約がある中でかつての名作をなんとか模倣しようとしたからこそ、劣化作を生み出してしまったことが原因であると考えます。

そんな中で今作は、過去作の模倣ではないクレしん映画の新しい境地を見せつけてくれました。原作の登場人物たちの気持ちを掘り下げて、独自の解釈を加えることで、往年の原作ファンから見てもスッと心に馴染むような仕上がりになっていました。

今作がクレしん映画の夜明けとなることを期待し、来年の映画も楽しみに待とうと思います。


(余談)
作中に登場する「しんのすけは心がエリートです」というセリフは、原作から引用されたものです。このセリフは映画の主題の根幹に食い込んでいて、むしろ原作のこのエピソードを起点に映画が作られたのではないかとも思えます。
▼参考リンク


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