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Into Animation No.8 「髙橋克雄特集・ 立体アニメーション映画への模索」 を振り返る 後編 エクストラ!


⚫︎シスコン王子のお人形が違う!??

父がアニメをしていたピノキオを紹介するシスコン王子の人形。新しく人形がデザインされる前に撮影されていた。

    イントゥの上映後、『ピノキオの紹介』の場面について、たくさんの質問やご指摘が寄せられた。中でも、『本編とお人形が違うのはなぜですか?』という藤子不二雄ファンの方からのご質問には仰天!…お人形、違うの?…ということで、上映されたピノキオの紹介場面の映像をスローで再生。あ、ホントだ!デベソ?というわけで、この謎は大物だ。私は『シスコン王子』の本編も昔のCMも、うちで発見したもの以外は観たことがないのだけれど、本編より抜いた予告篇と『ピノキオ紹介』のシスコン王子は確かに違うお人形。さすが藤子不二雄ファン!この謎のお返事、私では手に負えないなぁ…。そういえば、以前から北海道アーカイブの齋藤代表も『進めシスコーン』で人形が変わった!と話していたような記憶が…齋藤代表は『シスコン王子』について的を得ない私に何かと丁寧に説明してくださる。今回も、下のような比較写真を送ってくださって、父がアニメをしていたお人形と本編のお人形は違うのだ!ということをTwitterで説明、力説してくださって感謝。

比べて観れば一目瞭然!右側はCG加工されているが本編の人形。左側は『ピノキオ紹介』で父がアニメをしていた人形。デベソかどうかは未確認ながら、お腹の膨らみ方や肩周りが全然違う!とご指摘いただいた。写真提供は、藤子不二雄公式ファンクラブ、ネオ・ユートピア様より。
このCMのお人形の指は4本。CMはCMでデザインが変化していったようで、こちらはデベソのお人形より新しい。

 一方、今や私にとって「困ったときの神頼み的存在」のアニメーション協会、東京工芸大学の細川晋先生からもこの人形のデザインや指の数の違いについて、非常に理論的に筋の通ったご指摘をいただいて感激した次第。私の直感とか思い込みとか手抜きとかでごちゃごちゃに絡まっていたものがスルスルっと、ほどけるようになぞが解けるのが心地よい。で、こういう「ちゃんとした理由」から、『ピノキオ紹介』は本編のお人形が出来上がる前に撮られたもの…ということがはっきりした。ただ、一つだけ気になるのは、結局、父は3話から関わり始めて、1話から3話のお人形は新しいデザインのお人形なのだから、本編より先に撮った『進めシスコーン』の歌の特撮と、本編より後ろに『ピノキオ紹介』の場面を編集で繋いで一つの作品を流したときに、頭の歌の部分と本編、『進めシスコーン』の終わりの紹介場面の中のシスコン王子のお人形が違っている…っていうのはまずくないのか? 父なら絶対に『何で人形違うの?ダメだなぁ』とNG。撮り直し…なはずがそのままGo on!とは、やはり予算的にもスケジュール的にもリテイクは無理!っていうことだったのか?というわけ。お写真もいろいろ。『シスコン王子』は最後の最後まで謎が多い。(皆様からの資料のご提供、ご協力に感謝)

パッと見で、小学館の学年誌の記事では?と。拡大すると微かにデベソっぽい?このお人形たちは恐らく旧デザインのものかと思われる。水平さんのお人形もかなり丸い。
シスコン王子ならぬシスコン坊や…!人形の指についてもご指摘され、このときは4本。後にCMの人形は5本指にに変わるが、本編は4本のまま撮り続けていたとのこと。

⚫︎父の名前が出ないもう一つの理由…

『ぴっきい劇場』はTBS、『シスコン王子』はフジテレビ…そこで、娘のカンがピーん!…あまり知られていないと思うが、父はテレビの生放送時代からKRT(TBS)やフジテレビ、地方のテレビ局にもに可愛がられかなりたくさんの番組製作に携わってきた。『西部民話劇場』という人形劇番組ではTプロデューサーの土井利泰(旧姓 鈴木)氏とは切っても切れぬ仲。TBSの『ぴっきいちゃんグループ』と呼ばれる脚本家集団に入れてもらえたことにも父はとても感謝していた。

 フジテレビとも開局以来のお付き合いで、『シスコン王子』以前に番組を何本も書いたり撮ったり…。特にたくさん仕事をしたのはプークから独立して自社スタジオを建てた昭和32年から私が生まれるまでの3年間くらい。常田久仁子プロデューサーに可愛がられいた父は子ども番組から大人のドラマ、バラエティものまでいろな脚本を書きまくっていた。まぁ、若気の至りで局内でいろいろあった父は結局フジテレビを去ることに…!

フジテレビのスタジオ。『こどものひろば』の最終回の後の記念写真。前列左から三番目のヒョロい眼鏡、ネクタイ姿が髙橋克雄。前列右から5番目のスーツ姿の女性が後に『欽ドン』のプロデューサーとなる常田久仁子氏。その左の女性も同じくフジテレビの大御所となる南部光枝氏。

  以前、常田久仁子氏とNHKのエレベータの中でバッタリお会いしたことがあるのだが、胸にお名前の書かれたお花が飾られていて何かのお祝いの会にご出席されるとお聞きした。観るからに知的センスのオーラに満ちていて恐れ多い。
フジテレビのプロデューサーがどうしてNHKに?と思いながら、エレベータの中なので少しだけしお話できなくて残念だった。後からわかったが、その頃は既にフジテレビから千代田企画に移籍されていたとのこと。生涯現役。父と同じ82歳でご逝去された。父、髙橋克雄がフジテレビへの「永久出禁」の道を自ら選んだ3年後、恩義のある小畑専務から『シスコン王子』(フジテレビ)の話が舞い込んできて心中複雑…TBSの『ぴっきい劇場』も抱えていて不義理になってはいけないし、小畑さんの隠密部隊として名前が出ない方が父にとってもありがたい面もあったかのかもしれない。…という具合でそれぞれの事情が見え隠れする。

で、父の手帳の話に戻るのだが、’63年の手帳が2冊あることにも新しく気づいた。それから、『ポニー号』とお人形を借りてきた日にちが判明したのも新発見!ポニー号というのはシスコン王子とチョコちゃんが乗るオシャレな空飛ぶ自動車?
11月4日、5日にそのことがメモされているので、9月には『オープニングの歌の特撮』と『ピノキオ紹介』を撮り始めていたのではないか?
ポニー号が出てくるのは6話の前にもありそうだけど、11月で6話、12月は7話…そんな感じだったのかもしれない。

6話の絵コンテより。ポニー号は大活躍!

 というわけで 「撮絵スナップの謎」(『ピノキオ紹介』と本編が一緒に撮られていること)や『進めシスコンの歌と特撮』や『ピノキオ紹介』の場面が撮影された正確な日時は不明ながら、だいたいの流れは理解できたように思う。

 新調したパーカーのピカピカの万年筆で『シスコン王子』6話、7話のメモを書いていた父であったが、後半、逆転して『ぴっきい劇場』が万年筆。シスコンは鉛筆書きのヘロヘロ文字の走り書きとなる。何かそんなところにも父の微妙な気持ちの変化が見えるのは気のせいか…『やっぱりぴっきいちゃんが大事!』と心なしか殿方が二又とか浮気を反省する心境にも似たような雰囲気。まぁ、そんなこんなで『シスコン王子』の製作に父の名前は出てこないのだけれど、今回の上映でそんなモヤモヤもスッキリ!

『ぴっきい劇場』のテレビ画面。ぴっきいちゃんは、父にとっても思い出深く、私にとってもスーパー大事な作品。

 イントゥの上映から早くも、ひと月が過ぎた今、いろいろな角度から『シスコン王子』を観ることができるようになってよかった。何度も書くけれど『公開してよかったよ。パパ!』…と、私の自己満足かもしれないが、誰かと一緒に父の作品について、こんなにもよく観てもらえたのは人生初の出来事。お世辞ではなくて本当に感謝!長い長い拙い作文を読んでいただいたこともありがたいこ。機会があれば、どこへでも行ってトークしたいので、何かございましたらお声掛けください。
あ、いけない。まだ、あと3作品も残っていた!父がというか日本国がアメリカで初めて映像展示をした『夢の国ジパング』&『開国前后』から本格的にJETROの「万博映画」を撮るようになったこと、日本中が万博フィーバーとなったEXPO’70大阪万博、『ミセス21世紀』から外務省へつながり『かぐやひめ』に至ったことなど、まだまだ先は長いのであった。とりあえず『シスコン王子』のことはここまで…!3400文字也。
                      To be continued 
⚫︎本文中の写真の中には、一部、Twitterでいただいた写真を使用させていただいています。いただいたご本人にはご連絡していますが、出典のわからないものもございます。非営利目的の研究のためとして利用させていただきますことをご了承くださいますよう、お願い申し上げます




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