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日本アニメーション協会 Into Animation No.8 「髙橋克雄特集・立体アニメーション映画への模索」 を振り返る その2


《上映作品紹介》

● 『わんウェイ通り』第3話
     ポテト島海戦の巻

1957年3月完成 白黒14分  連続テレビ番組用作品
(演出 脚本 監督 髙橋克雄 / 音楽 若山浩一/撮影 森隆司郎 黒川文男 村瀬栄一/主演 山岡徹也 増山江威子 野村道子 田辺奈々子 中江隆介 根本嘉也
北川智恵子/企画 大映テレビ室)

『わんウェイ通り』は第一部から第三部に至る大作。ロケットの打ち上げ場面にズームレンズを初めて使用した。

《解説》

塀の前に立つのが父、髙橋克雄。前にカメラ左手の帽子姿で台本を手にするいかにも監督風な方が黒川文男氏。

  上映当日、とても感激したことの一つは、父と一緒に『わんウェイ通り』の撮影に参加してくださった黒川文男監督と会場でお会いして、詳しくお話しをお聞きすることができたこと。黒川監督はその後、『小公女セーラ』の監督として著名となり、父はそのことをとても嬉しく思って、『戦後メディア映像史』の中にも写真付きで書き遺している。私は激しい気性の父のこと、黒川氏とケンカ別れとなったのではないかと長年気になっていたので、『父とケンカはしませんでしたか?』とお尋ねしたら、『ケンカはしなかったなぁ』と懐かしそうにお話してくださり、父が存命だったら泣いて喜ぶ!と思って感無量。どうして黒川監督を会場にお呼びできたかというと、以前、Twitterにこの写真をアップしたところ、『黒川文男の家族です!』と監督のお嬢様のご主人、長谷孝介氏から嬉しいメッセージが届いたことから。そして、当日、トークで黒川文男監督のご紹介をさせていただいたら、会場の中にも『昔、お仕事でご一緒しました!』というお客様が現れてますます嬉しい時間を過ごすことができて感謝!

『わんウェイ通り』の謎 !

なぜこのタイトルは『ワンウェイ通り』ではないのか…?

  『わんウェイ通り』ついて、両親から『もう二度と観られな方残念!』と何度も聞かされていた。大映テレビ室への納品当日、放送用の作品全13話分の重たいフィルム缶をスタッフ総出でトラックの荷台に積み込んだ後、トラックが無事に発車。ところが、それと同時にプロデューサーの庄司洵(母、富美子のプロデューサーネーム)宛に大映と名乗る者から電話が入り、『この度、倒産することになった!放送できなくなって申し訳ない』とのこと。慌てふためいてトラックを止めるように叫び、スタッフは全員走ってトラックを止めようとしたが、トラックはそのまま走り去った。スタッフにギャラを支払うべく、母は大映に駆け込み、大映のプロデューサーに事情を話して一緒にトラックの到着を信じて待つがトラックはついに現れず…プロデューサーは責任を感じて、母は無事に製作費を小切手でもらうことができたのでスタッフにギャラが払えてよかった!とい後お話。損失はなかったにしても、結局、作品の行方は未だにわからないままである。 両親、特にプロデューサーであった母は『大映倒産で放映されなかった』と心底信じていた様子で、私も長年、そう信じていたのだが、今回の上映にあたり情報収集していく中、大きな疑問が湧いてきた。

謎、その1
まず、不思議に思ったことは、『大映テレビ室はは本当に倒産したのか?』ということである。大映テレビ室の倒産について調べてみたが、『わんウェイ通り』の納品の1957年に倒産の記録はどこにも見つからなかった。アニメーション協会の小松沢甫先生もこの点を調べてくださりお世話になったが、大映テレビ室の倒産はメディア史上、1971年とされている。その年には両親は『オーストラリアと日本』のロケ中で日本にいない。大映テレビ室の倒産は、『わんウェイ通り』の製作年度より10年以上後のことなのである。これはどうしたことか…他所様の倒産の歴史を根掘り葉掘り調べるのも気が引けて結局、謎のまま上映を迎えた次第である。

謎、その2
 
謎の話はまだ続く。庄司洵は「大映倒産!」の電話を受けた際、何の疑いもなく電話の相手は大映のプロデューサーだと思い込んでいた。しかし、本当にそうであったのか?大映テレビ室の香取担プロデューサーは、駆けつけた母の話を聞いて何を思って納品されていない作品に対して「責任を感じて」ギャラを支払う気持ちになったのだろうか。全くもって謎である。

謎、その3
 そもそも、もう二度と観られないと思っていた『わんウェイ通り』の第三部第三話だけ、なぜ我が家に残っていたのか?父の他界後、フィルムはケースにも入れらておらず、それがわんウェイだとわかった時に母も私も大変に驚いたのである。
大映テレビ室の企画書、父の書いた台本、発見されたフィルムの映像や音声テープなどを見ていると、謎はますます深まる。大映テレビ室の企画書、台本などは全て『ワンウェイ通り』とカタカナだが、発見されたフィルムのタイトルや音声テープには『わんウェイ通り』と平仮名。なぜ違っているのか? 疑問に思いながら、『わんウェイ通り』をネット検索すると衝撃的な記事が飛び出てきて『えっ、嘘でしょー?』と、思わず一人ごちる。その記事は『わんウェイ通り』は漫画家の武内つなよし氏が原作者!という内容。『わんウェイ通り』に原作者がいたとは全く知らず…もし本当ならパンフのクレジットに原作者名を入れるのがスジというものだ。ちょうどパンフの記事の〆切で水江未来会長とやりとりしている最中だったので、これは大変!急いで武内つなよし氏の資料のある小学館に問い合わせたが、その存在を確認できるものは何もない。しかし、ネットの記事の内容はしっかりしていて、後に武内つなよし氏原作の『スーパージェット』が大映テレビ室で放映されたことを考え合わせれば、その可能性は十分過ぎる!大映テレビ室の企画会議の段階で既に『ワンウェイ通り』とカタカナにされている。担当プロデューサーの香取氏から原作者がいることを父が聞かされていないまま父が脚本を書いている事実から、『わんウェイ通り』は映像界ではよくある「買い取り」だったと推察。しかし、そこは大映テレビ室と武内つなよし氏の間のことなので当方タッチせず…とにかく『原作者がいる(らしい)!』と水江会長に伝えて相談したが、実に冷静なご判断で今回は原作者の表記はナシとすることに。で、「原作を非常に大事にする」父の性格をよく知っている私は、父の撮影手帳と日記を確認したところ、今回発見したこのフィルムはタイトルミスによるNG作品…ということがわかった。つまり、この一本は、大御所たちの主演する音声入りの放映用のフィルムに『わんウェイ通り』と他と違うタイトル、恐らく原作通りのタイトルを入れて大映からのダメ出しNGをくらって素材として返却されたフィルム…ということになる。何にしても、それが残っていたお陰で私は初めて『わんウェイ通り』を観ることができたし、今回、初公開できてとても嬉しかった!

父の手書き台本。原作者がいると父が知っていれば必ず、原作者名を真っ先に入れたはずである。  
『わんウェイ通り』と父の直筆で書かれた音声テープ。大御所たちのセリフや録音時の様子などが収録されている。データ化できたのはほんの一部だけ。映像がなくてもラジオドラマとし再利用できれば、楽しい作品が復活する!

 音声の録音テープ(大映の目に触れない)には父の直筆で『わんウェイ通り』とはっきり書き遺されている。古い資料の中に父と武内氏との手紙のやり取りなどが残っていないか?これは父の作戦ではなかったのか?と、知りたがり屋の私の心はざわつくのであるが、これはこれでヨシということにしましょうや…と、『わんウェイ通り』の映像はどこにあるのか、まだまだ謎は続くのですが、とにかく、今回の初公開でその存在を少しでも証明できたと思い、喜びも一入の上映となった。




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