推しについての妄言。

六月に卒業を迎えた推しを考えようと思います。
頭で考えるだけだとまとまりきらないので、文章として出力してまとめてみようという試み。

紫水キキ生誕LIVE2024にて歌われたロウワーについて「今のキキ達みたいだね」と言われていました。
この歌は勿論このためにあつらえたものではないですが、投影した想いや意図があって選ばれたセトリであるはずです。


以下は多分に妄想やこじつけ、当て推量が含まれた不確かな土台の上に建てたものであり
こう受け取れるのではないか…?と自分が考えただけのものです。
気にしない方だけ見て下さい。文句は受け付けます。








歌詞の転載はアレなので、妄想が気になる人は適当なサイトで歌詞を追って見てください。

第一段落

始まりに語られるのは結果です。
今から幕の上がる舞台を、彼女は去ることになります。パペットマスターである彼女がいないその人形劇は、幕が上がったところで静寂に包まれていました。

でも、今目に見えるものだけが全てではないでしょう。別れた後に残されるのは、寂しい劇場だけではないはずです。

第二段落

言いかけていたことは、従いたい心根=本音であり
ひとつには、自分アンチを自称する彼女が「自分はここにいない方がいいのでは?」と、そんな心の内から自分を攻撃するような考えも含んでいると思います。

ひよクロはデビュー当初、登録バグで大きく躓きました。それは間違いなく一演者の責任ではありません。大体youtube君が悪い。
でも、イレギュラーなアクシデントに見舞われたその時に
(自分が後から急に参加したせいでは?)
(自分がいなかったら、こうはならなかったんじゃ?)
そんなありえない、口に出せば誰もが否定するであろうタラレバが、脳裏をよぎっていたのではないでしょうか。

(休んでばかりでグループとしての活動において、足を引っ張っているのでは?)
そんな考えは恐らく、統合によってグループが解体されるまで浮かんでは消えていたのだと思っています。
誰が言うでもなく、彼女自身の内側から。

押し殺していた従いたい本音にはそんな自虐的なものが含まれていて、それは心の中で少しずつ折り重なり、澱になっていたのだと考えています。

第3段落

受け止めたいことは、周囲の期待、自分が求めるこうあるべきという姿。周りの期待に応えるどころか自分の理想さえ全うできず、持て余したそれを捨てることも出来ない。実際そうかはともかく、そう感じていたのではないでしょうか。
その次の文章はそんな心身共にボロボロな状態で動き続けている時の姿を示していると認識しています。

第4段落

感じていたものが遠く放たれていたというのは
自分が感じていたものが、自分の何かの発言が他人の解釈を通した上でリスナーなどに伝わっていることを指しているのではないでしょうか。
「◯◯はこう考えてるに違いない!言いたいことはこうだ!」
その人のフィルターを通したそれは、同じようで違うものです。良くも悪くも。今書いているこの妄言もそう。

いつまで、どこまで続けていけるのかというのは、活動者として常に考えることでしょう。
いつまで続けていけるのか≒いつ辞めるのかであり、それを見つめて何を思うのかは多分……どういう終わり方をするのか、だったのではないでしょうか。

活動当初エグいくらいに体調が良くなかった彼女はきっと、今のような終わり方は出来なかった。
最近少しずつ元気になり、頑張れるようになったからこそ、彼女の納得のいく(あるいは、彼女が思うリスナー達をなるべく悲しませない)終わり方が可能になり。
今回の決断に踏み切ったのだと考えています。


第5段落(サビ)

僕らは彼女とリスナーであるパペットを指していて、それが離れ迷うのは自分たちパペットが彼女を信じられなくなるからかもしれないし、彼女の自虐心が自身を追い詰めるからかもしれません。
それでもその度に、2つを繋ぎ止められるように
パペットは自分アンチのマスターが自分に負けないように支えとなり、パペットに必要とされたマスターはパペットの手を離さず大切にすることで
どちらも救われていたのだと思います。


第6段落

平穏とはすなわち何事もなく活動を続けることで、それはやはり身を削っていて、パペットから平穏に見えていても実際には消耗していくことに変わりはなく。
パペットが幸せでいるために辛い姿を見せないでいることは嘘であり、その嘘がバレてみんなを悲しませるしかなくなる前に、パッとやめちゃおうかという、しんどい自分にとって都合のいい閃き。
それは活動を続けている時に何度も何度も浮かんだ考えでしょう。

その心の声をどう聞いても、パペットを悲しませないという目的を見失ってやしないか、バレるより悲しませやしないか。
それを考えてついぞその声を聞き入れることはなかったのでしょう。

第7段落(サビ)

パペットがもう追い続けるのは疲れたと思うなら、見るのをやめてもいい、無理のない範囲で見てねとマスターは許し。
マスターが疲れてもう無理だと言うなら、休んでも逃げてもいいとパペットは許しました。
お互いに、相手の心が疲れ果てて壊れないように。



第8段落

楽しかった記憶を、思い出している。



第9段落

この段落は、パペットの視点だと考えています。
いつか終わりが来ることをパペットは知っていたはずでした。そして卒業を発表された今、一つ一つの配信を、いつまで続いてくれるだろうと惜しみ。忘れないように、忘れたくないと噛み締めて共有した時間を、何度も何度も思い出すでしょう。

第10段落(ラスサビ)

紫水キキが卒業して、パペットとマスターが離れてしまっても。
一緒にいたこの時間をお互いに忘れないでいるなら、思い出を介して繋がれるのではないでしょうか。
彼女はこの2年半を一生忘れないと言ってくれました。ならパペットが忘れない限りは、あの時間あの場所を大切に想っている者同士として繋がっていられるのではないでしょうか。

紫水キキとして生きた彼女の2年半(あるいは、あなたが紫水キキを知ってからの全て)を、僕らが折に触れて思い出して、あの時間僕らは確かに幸せだったと胸を張れるなら。
それこそが、紫水キキとしての全てを彼女が思い出す時に「しんどかったけど、やっててよかったのかな」と肯定する助けとなるのではないでしょうか。

それが、彼女の生きている全てを確かめて正しくするという結びの歌詞の、自分なりの解釈です。

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