RE:私と、旅と、書くということ。

「分業」を理解できるようになる、とも言えるかもしれないです。例えば、ともこさんの存在を知っているのにEVの話とかユタ州のキャンプのことを、一生懸命検索して記事を書こうと私はしません。アメリカの大学進学を希望している方がいるなら、ともこさんのnoteを紹介すると思います。検索して出てくる情報はすでにリサーチいてあるかもしれないから。書いて下さるだろうと期待しているというより、「その話題を、ともこさんいらっしゃるのに、それでも書きたいことはあるかな?」と考えます。
岡田環さんも似ていて、少なくともアゼルバイジャンの話や国際貢献や人道支援のことは、彼女のnoteを頼りにしています。

明らかに蓄積の差があることを理解出来ますし、数日検索して書いただけの記事に、自分が魅力を持てないこともあります。

10万年単位の出来事でいうと、言語生成AIが頭に浮かびます。言語生成AIは「火の発見」など、その方にとっての大きな出来事に例える例が多いです。認知への影響なら文字の発明、人類史への影響なら音声言語を含めて、多くの発明やイノベーションやパラダイムシフトも経験してきましたが、それらより未知の可能性を抱きます。人と異なる思考パターンで、盲点も異なる、「人とは異なる知性で、30分以上深い対話を行える点」が、人類史初だと思うからです。
旅情は抱きつつ、国内旅行にも出かけでいませんが、例えば言語生成AIを通して人類史のこれまでとこれからは考えることが多かったです。(コールセンターの人員削減、エスカレーション対応も一部はGPT-4が行えているから代替されるのは管理職も含むと予想していること、ヘルプやFAQの拡張としてのチャットボットが一次対応の前に対応を開始するため、これまでより離脱した方のフォローを行いやすいこと、なども興味がありますが現役で取り組んでる方の方が詳しいよなと言葉にならずにいます)

移住なさってお子さんが大学生になり、人生の季節が変化していく。そのことは、ともこさんの人生にとって、ともこさんの目と心と知性を通すと何なのかを言葉になさることは、他の誰にも「分業」してもらえないことですよね。

旅も書くことも、自分自身も、自分の言葉があることって、幸福なことだなぁと感じました。

Thank you for taking the time to read this.