「忘れる」ことは、能力であり、救いであり、希望であり、たぶんギフト

学生時代の友人が30年経っても、「あの試合、どうだったっけ?」と、自分の記憶を頼りにしてくれる。嬉しいし、記憶力の強さは自分の強みだ。しかし、忘れられないことが辛い。そう、話してくれた男性がいました。

忘れる、もしくは忘れたふりをする、というのは女性が生きて行く上でとても大事な「能力」だったのかもしれない。医学がまだ呪術に近かった時代、病で亡くなる子供のことは表面上忘れて前を向かねばならなかった。戦争で子供が兵隊にいき戻らなくても、忘れて生きて行かねばならなかった。
https://note.com/moimoko/n/n2a189512899b

「忘れる」ことについて。

まず、引用部の解釈、素敵だなと思います。
個人的な太古のイメージですけど、まだ文字がなくて口伝で文化を継承した時代は、語り部は女性だったかもしれないと思っています。記憶する内容によって、向き不向きがありそうですから。

子育て経験者のともこさんに言うに及ばずですが、家事・育児・旦那さんのサポートなど、多くの仕事を引き受けるから、世のお母さんのお仕事って超マルチタスクになるはずです。
シングルタスクと比べると、記憶を保ちにくいでしょうし(うっかりする)、終わったタスクはどんどん忘れないと他の仕事の作業領域を確保出来ません。(脳の負担を減らすためにも、忘れる可能性あります)

私の経験でも、忘れることはギフトです。年下の家族の療養の伴走は、本人も母も潰すわけにいきませんし、極めてデリケートで入退院を繰り返しましたから、色んな苦労が有りました。愛してるから全て引き受けられるわけではなく、家族でも限界があるので、ギリギリのところを何とか乗り越えました。
不思議なことに、「もう、苦しくないな、お疲れ様」と送り出したら、苦労したことを忘れました。ある日赤ちゃんで登場し、私が兄になり、骨を拾うことで、1人の人の一生に立ち会いました。「いい奴だったなあ」「この映画、この本、あのバンド、この漫画好きだろうな、見せてやりたい」と、穏やかに思い出せています。優しい思い出だけ残してくれた、愛する家族です。

忘れることが出来なければ、こうは思えません。性差がどこまであるか分かりませんが、グリーフワーク済ませたとはいえ、肉親との死別は最も大きなストレスです。

ストレス。乱暴なことを言うと、男性は筋肉多いし、槍持って獲物を獲りにいけたりするから、「発散」の仕方が違ったかもしれませんね。

女性の置かれた立場や役割も関係するかもしれませんし、先述したように超マルチタスクは脳の使い方が無茶です。
ストレスもかかるでしょう。だから、「忘れる」ことを、うまく人生に取り入れられたのかもしれないですね。意図して忘れられないのに、結果的に出来てしまうのは不思議なことです。

日にち薬も、時間が経って自然と記憶の輪郭が薄れることを理解した、先人の「忘れる」ことの活用かもしれないと、思わされるのです。

👆ヘッダーはくろこ。さんからお借りしました。

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