シニカル・冷笑的な言動への誤解
知的とシニカルを誤解している人、いませんか?
どう振る舞おうとその人の自由だし、周囲が離れるだけなのだけど。冷笑的であることは、簡単に「評論家」の目線で物事を語れるようになります。実際に評論やろうとしたら、その領域を学ばないと出来ないはずだけど。形だけ。気分だけ。
製品・サービス・他人の人生、例えば子育てとか、何だって冷笑的に接することは出来ます。
冷笑的に振る舞う人と取り巻きには、何か意味があるのかもしれないけど、無関係な人は不快な気持ちになるだけ。
国民性を考えると、出る杭は打たれるし、なんとか足を引っ張ろうとする面がありませんか? 少なくとも、成功しそうな人がいたら押し上げる文化ではない。そんな国民性が、「冷笑的であること」に分不相応な居場所を提供してしまっているように思えるのです。
何の創造性も無いのに!
👆ヘッダーは深夜の羅針盤・223本投稿中・ジャンクエッセイさんからお借りしました。
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