その公正さは公正ですか? : 私達の日常を振り返る

何が公正なのか考えていました。明日も考えると思います。例えば、190cmある男性と、150cmの女性では、筋肉量も骨格も異なるので、同じ「素手」でも、対等ではなく、武器を持たないと埋められないほどの差があります。このギャップに関して、女性に暴力を振るうなと指摘する意見はあっても、「女性側に武器の携帯を許可したらどう?」という意見は、私の観測範囲ではあまり目にしません。

同じ1L入りの1Kgの牛乳も、片手で25kgのダンベルを持ち上げる男性と、4kgの鉄アレイが精一杯の女性を比較すると、自分の力の1/25と1/4です。同じ重さだけど、負担や体感は異なるはずです。でも、お客様の体力に合わせて公平に販売するのは無理ですよね。規格があって大量生産されており、個別対応は現実的でない。(代わりに、ネットスーパーなどで運んでもらうことは可能です。シニア割引があるなら、何らかの方法で筋力や体力を数値化して、割引を検討してもいいかもしれません)

SFみたいだと思われませんか? 同じ1Lが、人によって違うということが。でも、思い出してください。3歳前後の私達の記憶では、世界は大きく広く、大人も大きかった。自分が大きくなったのに、30年ぶりに思い出の土地を歩くと「こんな小さかったっけ」と、感想を抱きます。

競争は格差を作る反面、世の中を豊かにします。努力した人が報われることが大切です。努力を怠ることと、例えば病や障害に関して医師が診断書で「出来ない・させてはいけない」と根拠を示したことは別です。前者は主観であり、後者は科学的な根拠があります。日本は、よく言うと働き者の文化なので、セーフティーネットの議論が進みません。日本の中流層が多かった1990年代と比較すると、社会の余裕が減ったこともあると思います。

どれも、すぐに解決は出来ませんが、公正さを考える題材になると思います。

例えば、疲れてズル休みをすることは、病気などと嘘を伝えていますが、長い目で見ると、バッファー・緩衝として働く人の心身を守る可能性もあります。本人の幸福追求権だけでなく、この方が働いて納税して下さった方が、働けなくなってセーフティーネットを利用するより、社会全体のプラスです。支える側を潰さずに済むのだから、結果的にみんなの負担が減ります。

有給をきちんと利用できているかとか、非正規雇用で有給がないなど様々な原因を探る必要があります。調べてみたら有給が使いにくくて、あるいは非正規雇用で有給がないかもしれない。また、最小限の人員で現場を機能させるでしょうから、休むに休めないこともあるでしょう。休みを取れるように制度を見直し、人も雇うことが望ましいです。けれど、倫理的な理由では経済的な問題は進みません。企業側は、人件費を削りたいのです。

では、「仕事で収益を上げたいが、労働者に賃金を払いたくない」という意見があるとしたら、これはワガママではないでしょうか。林檎は欲しいけど対価は払わないとか、投資の利益は欲しいけど損失はいらない(リスクを負いたくない)などは、通らないですよね。しかし、力関係のある雇用の問題は、企業への批判ではなく、セーフティーネットに関する事柄がスケープゴートにされます。人の心理は、見たくないことは見えない傾向があります。

「企業に搾取され抵抗できない立場」であることを、スケープゴートを非難することで忘れられるのではないでしょうか。企業からすると、漁夫の利ですよね。

私は選択肢を増やす方向の議論が、望ましいと考えます。「みんな我慢してるんだ、同じ服にしなさい」と強制されるより、学校や職場のルールの範囲で、好きな物を着て下さい、アレルギーのある方もいますよね、って視点の方が、私は好きです。

たくさん行き止まりがあって絶望するより、例えば、名門大学の受験に落ちたけど、カフェのインテリアが好きだから内装の勉強を始めて、そのまま仕事に繋がる。営業マンもいれば、自動販売機の補充をするお仕事もあるし、パン職人もある。理想的なのは、コールセンターの一次対応などで接客業をフルタイムで一年半から三年程度経験して、元の業界に戻ること。コミュニケーション能力とか、接客業でされて嫌なことを理解するとか、ジェンダーギャップで「ガラスの天井」と指摘のある問題を共に考えるとか、仕事を通して獲得できることが、他の仕事にも社会にも役に立つので。

あるいは、「公務員」も非正規雇用があって問題が起きているので、いっそ年齢制限を撤廃して、公務員試験を合格し、職位に必要な資格(例えば精神保健福祉士がいるとか)を持っているなら、他業種からの転職を認めると、より柔軟になるのでは無いでしょうか。

どんな才能があり、実績を出せるかは分からないけど、ダメな時にそこで終わりにしないで、次の選択肢が選べることが、公正に思うのです。

結果の平等ではなく、機会の平等は、生まれた環境や遺伝などの影響を0に出来ないので、再挑戦して試行回数を増やすほど、成功する確率は上がると考えるからです。


たとえば、生まれた家が貧困状態に陥っている、いわゆる「子どもの貧困」問題など、マイナスをゼロに近づける働きも大切です。だけど、ゼロには出来ない(完璧はない)から、「試行回数を増やす」方向も行うと合理的だと思います。

今述べたように、「公正さ」を意識すると、様々な課題や解決策を考えることができます。また、公正さ自体も公正が議論できます。季節の花を意識して街を歩くと、思いがけないところにも咲いています。公正さを意識すると、似たことが起きると思います。

時代とともに価値観は変わります。公正さの基準も変化します。けれど、「ゲームのルールはフェアな方が望ましい」ことは、おそらく普遍的です。正当な競争の結果と言えるのは、公正であることが必要です。一見めんどくさそうでも、経済などの実利と倫理という目に見えないものの両方を満たせるから、公正さを意識することは価値があります。




Thank you for taking the time to read this.