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読みたいように読めば、最悪他者を傷つけたり支配する道具に陥る、聖書を安全に扱う私的取説

宗教に熱心なヒトの3割は 読みたいように聖書を読み理解している。
https://note.com/moimoko/n/n29a3c6669f40

あー、ご苦労がしのばれます。アメリカに関してはどうにもならないけど、日本国内なら、上記問題を回避する方法を提案出来るかも。

👆カトリックの例で恐縮ですけど、様々な失敗の歴史があります。謝罪しないよりマシだけど、謝罪すれば許されるかは、難問。なので、記事を支持するわけじゃないけど、整理されてるので、リンク貼ります。

聖書はHTMLの文書のように、あちこちが有機的に繋がってる構造です。かつ、数千年かけて成立した書物なので、時代背景と歴史を理解する必要がある。だから、きちんと読むことがとても難しいと、理解するようにしています。

私は学者ではないので、詳しくなることより、適切な信仰を育て実践することを重視します。

聖書の大半は一般常識で読めばいいし、分からない点は牧師や神父に質問しましょう。

すぐに質問できる人ばかりじゃないですね。本があります。三浦綾子を勧める人もいるし、私は遠藤周作や犬養道子を読みました。宗教色が薄い一般向けの本では……

👆教養エッセイを書き慣れてる、阿刀田高さんのこの2冊を推薦します。海外旅行の前に読むと、美術品を鑑賞するのに、とても良いと思います。信仰を持つのではなく、キリスト教文化圏の人と交流したい方も。さらっと読めます。

伝統的なキリスト教なども、教会の存在を重視します。しかし、救いは、信者と神との個人的関係にあると教えます。神を信じる者が救われるのであって、教会や牧師に従う者が救われるのではないわけです。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/03mamoru.html

伝統的なキリスト教側から、「私達と関わりがない」と指摘される団体があります。上記引用部分は、健全な宗教とは何か、でもありますね。逆に、残念ながら熱心で信頼される牧師が「信頼されすぎて」、実質教祖のようになってしまう問題も、起きることはあります。つまり、伝統的であるから安心とは言えず、自分の理性でチェックするのが大切です。

口語訳・文語訳・個人訳など、他にも聖書はあるけど、日本語訳の場合は、上記2つを強く勧めます。上記ではダメだったら、念のため警戒することを勧めます。カルトから身を守るために。

豆知識。旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はコイネーギリシャ語で書かれており、日本語版も英語版も「翻訳」した聖書です。原書でゴリゴリ読める人も、たまにいます。

前も書いたのですが、2017年に年下の家族を亡くした時に、牧師に質問しました。「天国について、教えてくれ」と。

「聖書の記述は具体的では無いから、どのようなところだと答えられない。死んでみないと、わからないこともある」と、聖書を頭に叩き込んである牧師が、答えてくれたことが、嬉しかったです。

私を理解して、答えてくれたから。「答え」が欲しい方もいるはずだけど、私はそうじゃない。

私は理性をとても大切にするから、信仰の在り方が特殊だと思っています。2021の現代に神や宗教を考えること、哲学により神殺しが行われた後でも人間は弱いので擬似宗教が元気になっただけに見えることなどから、伝統を保ちつつ、現代ときちんと接続できないか、個人的には意識しています。

聖書の一節を聖句と呼び、暗記したりして、生きる指針にするクリスチャンもいます。

聖書は番号振ってあるから、「どこそこの何々」と場所を示して、「その困りごとなら、そこ読んでご覧」という使い方もします。

でも、言葉は「文脈」から切り離すと、独善的な解釈に発展するリスクもあるから、前後の流れも意識するようにしています。

何よりも、牧師や神父に対して、「私はこう解釈するのだけど、これは信仰上・神学上問題ないだろうか」と、質問できる関係性を保つことを、勧めます。

牧師や神父が怖かったり緊張して話せないなら、その教会は向いてないと、私は思う。教会は人の集まりだから、相性はある。自分に合う伝統的な教会を探すことを勧めます。「教会」って、建物のことじゃなくて、人の集まりを指すんです。

以上が、「聖書を読みたいように読む」ことを回避する、私のやり方です。

👆ヘッダーはダラズさんからお借りしました。

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