弱者女性だった私がひまそらあかねを応援する理由

下記の応援をXに投稿したところ、ひろゆきさんもリポストしてくれ、たくさんの方に見ていただきました。noteにも貼っておきます。

私はネグレクトを受けました。中学生のときには全ての歯が虫歯になり、前歯は折れました。身体を清潔にすることを知らなかったからです。
母は前歯のない私を見て「歯抜け」と笑い、私は歯抜けのまま中学校に通いました。

家族仲は悪く、何度も家出をし、その先で性被害に遭いました。
自殺未遂をして入れられた閉鎖病棟では、ガラス張りの部屋に閉じ込められました。
排泄をもそこで行わなければならないことは、まだ少女だった私にとって酷く苦痛でした。

閉鎖病棟で処方された薬が合わず体が引き攣り、涎を飲み込むこともできず、涙を拭くこともできず、世の中を呪いました。

そんな思春期を経て、どうにか大人になり、今は普通の人に混ざって幸せに暮らしています。
でも、どうしても、あのとき救ってほしかった、という思いはいつまでも拭えません。

私みたいな思いをする人を減らしたい、という動機で、福祉系の職につくか悩んでいました。

そんな折、暇空氏の「支援団体が保護女性をデモに連れて行っていた」というポストを見て頭を殴られたような衝撃を受けました。
添えられた画像では、支援団体の代表が男性に抱えられデモから排除されていました。

私はそのポストを見て、もし、私がそこに連れて行かれていたら……と怖くなりました。
法に反しない限り、デモは個人の自由なので否定しません。
しかし、心の回復期に、異性に身体を触られたり引っ張られたりする可能性のあるところに、被害者かもしれない保護女性を連れていくということは強く否定します。
そして、そのような感覚の支援団体が女性支援のモデルケースとして東京都から公金をもらっていることについても、強く拒否感を覚えました。

暇空氏の行動の結果、東京都の補助金の交付要綱には「政治活動禁止」の一文が追加されました。安心すると同時に、どうしてこんな当たり前のことができていないのか、と悲しくなりました。
しかし、支援団体は謝罪するでもなく「女性差別者の妨害にあった」と喧伝し、己の非を認めていません。

暇空氏は「女性差別者」「女性の敵」というカテゴライズをされがちです。
でも、私は女性として、被害者のひとりとして、暇空氏がいてくれてよかったと思います。保護女性をデモに連れて行くことに異議を唱える人がいてくれて良かったと思います。
だから、女性だって暇空氏の行動を応援してるよ、ということを示したくてこのアカウントを作りました。

このアカウントやYouTubeで意見を言うことで、脅迫や罵倒、ここには書けないような言葉を浴びせられることもありました。
浴びせられた言葉に傷ついて泣いて起き上がれないこともありました。
それでもアカウントを消さないのは、私の覚悟です。私の言葉は、私の生きる姿勢を賭けた言葉だからです。

私は弱者だったからこそ、自立して、社会の中で居場所を見つけて、普通に暮らせる事の喜びを知っています。
過去を知られず、弱者のレッテルを貼られず、虐待サバイバーでも性被害者でも可哀想な人でもなく、普通の人として、仕事で褒められたり怒られたりしながら、友達や恋人と笑い合ったり喧嘩したりしながら、対等な人間関係を築くことの喜びを知っています。

だからこそ、福祉は弱者を食い物にしたり、自らの主義主張の道具としたりするものであってほしくない。
弱者の豊かな可能性を切り開くものであってほしいと思っています。
しかし、今の福祉はそういうふうに機能しているようには思えません。

支援団体は、暇空氏を女性差別者とカテゴライズし、弁護士を何人も揃えて社会的に潰そうとしています。
でも、声を上げた市民の口を権力で塞ぐようなやり方には賛同できません。誹謗中傷に応える必要はありませんが、批判は正しく受け止め、改善していくべきです。
公金をもらったり税の優遇を受けている以上、広く公のために活動すべきだからです。

暇空氏の苛烈な言葉遣いや露悪的な態度は女性受けが悪いことは理解し共感します。しかし、口が悪くとも、彼の行っている住民訴訟は評価されるべき意義のあることだと、私は思います。福祉をブラックボックスにすべきではないと思うからです。ブラックボックスにしてしまうと、その中で仮に弱者が不当に扱われていても気付けなくなるからです。助けられなくなるからです。

この選挙において、ひまそら氏に票を投じる意義はあると思います。
思想や言動を全面支持するわけではありませんが、私はひまそらあかねさんを応援します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?