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鎌倉街道ストーリー4 新緑編(府中〜所沢編)①

4月の暖かな朝、分倍河原古戦場跡から、戦況が激しかった分倍河原、国分寺、所沢を通る鎌倉街道上道を辿ります。

春とはいえ、朝から気温が上昇気味、いざ、終点の高崎に向けて出発!足取りも軽く、まずは国分寺まで 分梅街道を直進します。(分梅から分倍(河原)へと地名が移り変わった 元々の町名なのです。)

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★そもそも、いざ鎌倉の新田義貞がここでの戦いに勝利したことで鎌倉幕府を滅亡へ一気に進めることになった拠点です。

分梅(ぶんばい)の言われ (府中市ホームページより)
町名の由来
鎌倉幕府の衰退が著しくなった元弘3年(1333年)5月、上州新田の庄で討幕の兵をおこした新田義貞は、多摩川を防備の拠点とする鎌倉方(総大将北條奉家)と、二日にわたり分倍河原で合戦しました。この戦いに勝った義貞は、いっきに、鎌倉へ攻め上り、22日に幕府を滅ぼしました。この古戦場ゆかりの地にちなんで名付けられた町名です。この石碑のある場所が古戦場跡、説明板が立っています。

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国分寺を目指し、分梅街道から国道246を越えて、府中街道に入り、案外すぐに西国に到着しました。街道歩きは どこでも食べられるように おにぎり2個、あとは飲み物という軽い昼食(お腹いっぱいでは歩くときに体が重いので)がコンスタントなのですが、今日は特別に 国分寺の「カフェスロー」のランチを目指しました。カフェスローはオーガニックな食材を扱う、素敵なお店で、たまたまオーナーの吉岡さんとも知り合いで 開店してから時々行ってランチしてたのですが、コロナでご無沙汰してました。https://cafeslow.com

さあ、体に優しい食材でお腹を満たして、国分寺から所沢を目指し、再スタート!

この鎌倉街道歩きを思いついたのは 私が勤務していた小平市の前任校への通勤経路に「鎌倉街道」の看板がある 細い路地があり、なぜ、こんなところが「鎌倉街道」なんだろうと疑問を持ったのがきっかけでした。(小平市は国分寺市の北に位置しています)

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街中で 幅2メートルほどの細い街道って?と思ったので ここにやっと繋がったという思いはあります。そして ここから所沢や狭山へと続いて行くので そのこともまた新たに興味が湧いてきています。この細い道の両側には梨やぶどうの果樹園が続きます。小平の裏街道の鷹の街道は夏や秋には このぶどうや梨、そして小平名産のブルーベリーを路地販売しています。その時期は車を止めて買いに走りました・・。

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今は、受粉作業の真っ盛り。小さな棒の先に毛先がついていて、それをチョンチョンとあちこちにつけていました。果樹園をのぞいていたら サングラスをかけた方が近寄ってきて作業のことを説明してくださいました。毎年楽しみにしていますとお伝えすると笑顔でありがとうございます、と言われて作業に戻って行きました。

さあ、ここからさらに北へ、東村山方面へ 歩いて行きます。続きを新緑編②に書きます。

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