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からだのシューレ vol.12「ブタと生きる:いのちをもらって食べるということ」

1月26日に行われた、からだのシューレ第12回
テーマは「ブタと生きる:いのちをもらって食べるということ」
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!満員御礼での開催となりました。

シューレメンバーの吉野なお(Nao)です。

今回は「沖縄の人とブタの関係」に焦点を当て、養豚場、屠殺場、市場などでフィールドワークを行った沖縄国際大学の文化人類学者・比嘉理麻さんをゲストに招き、お話をしていただきました。

余談ですが、(私は東京生まれ育ちなのですが)実は私の母は沖縄の離島出身なので、「沖縄の人とブタの関係」と聞いて思い出したエピソードがあります。10年程前に祖父が亡くなった葬儀での出来事です。

小さなその島に葬儀会社はなく、その代わりに、親戚・知人の人たちと協力しながら葬儀(料理はもちろん、祭壇飾りやら何やらまで)を手作りで作り上げていく文化があります。
そんな事情もあり、参列者も含め、多くの人が家に出入りする中で豚肉料理がふるまわれ、仏壇にも豚肉がお供えされていました。
キッチンの冷蔵庫は豚肉でいっぱいで、来客があるたびプラスチックパックに豚肉料理を入れ、輪ゴムで止めたものを「もってけもってけ」「もうもらったよ」「まだあるからもってけ」と、祖母達がやりとりしていたり、「この部位は人気があるのよ、でもちょっと私はグロテスクだと思う」などと母が言っていたことも記憶しています。

しかし、なぜそんなにたくさんの豚肉料理を葬儀で用意していたのか、当時わたしはあまり深く考えていませんでした。
でもとにかく、沖縄では『ブタはごちそう』なので、冠婚葬祭やお正月などで『必ず用意しなくてはいけないもの』ということを、何となく理解したのです。

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ブタについて話すときは興奮して目をキラキラさせるほど『豚愛』に溢れた比嘉さん。明るくコミカルなお人柄で、真面目なお話の合間に突然ギャグを入れたり、よく笑いが起きていました(笑)

研究レポートでは、養豚場で育った『ブタ』たちが『豚肉』として私たちの食卓に並べられるまでの間の出来事=不可視化されている屠殺の具体的な過程や、沖縄に残されていた独特の豚肉食慣行のお話、分業化社会になり起こった食肉動物に対する意識の変化、文化による多様な肉食文化について知ることができました。

・かつての沖縄では各家庭で1〜2頭だけのブタを養い、1年かけて太らせ、正月や盆に親類が集まって屠殺、頭から尻尾の先まで、一滴の血も無駄にせず食べつくしていたこと。
しかし分業社会になり、そのあり方が著しく変化したこと。(現在ではブタの自家屠殺は禁止されています)

・「いのちの授業」をもとに作られた映画『ブタがいた教室』では、小学6年生の生徒たちが名前を付けぺットのように可愛がったブタを『肉』として食べることへの戸惑い・葛藤が描かれた一方、パプアニューギニアの高地では、かつて女性たちが母乳で子豚を育てていたという報告があり、自らの子どものように育てたブタを殺し食べていた文化もあったこと。

・「肉」を「動物の死骸である」ことを意識させないように徹底された仕組みがあること

などなど。

そういった背景のもとで、いま私たちが食卓で目にする「美味しいお肉」が成り立ってきたことを思うと、「いただきます」と「ごちそうさま」をもっと深く言わなくては!と反省のような気持ちも生まれました。

そして動物のいのちを「お肉」として食べることで、味わいの感情はもちろんあるけれど、それらが体内に入ったあと、小さく小さく分解され、栄養になり、体を作り、意識を作り、循環し、動物の「いのち」の死が、私たちの「いのち」の一部になっていることの尊さと不思議さを改めて認識しました。

「食べる」ということは「生きる」ということでもあるけれど、肉を食べるには、必ずいのちの「死」がなくてはならない...などなど、いのちの死と生について、深く考えさせられました。

さらに、海に囲まれた沖縄の家庭で1匹のブタのいのちがもたらしたお肉(さらなる命のもとになるもの)は、集まった家族にとって、とても貴重なものだったのだろうと想像できるし、だからこそ『ブタはごちそう』だと言われていた理由も、私なりに理解できるようになりました。

それがたとえ死者を送る葬儀の時であっても、残された者(生きている者)たちはブタのいのちをもらって食べ、分け合い、連綿と生を続けてきたのだ、と。

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講演終了後、「面白かった〜」とニコニコ笑顔で話している方が多かったのが印象的でした。

参加者の方から戴いた感想を少しご紹介します。(一部要約しています)

・「脱動物化』という言葉や「分業社会」「非分業社会」といった観点からの考察が、私にとって新しいものでした。

・「肉の匿名化」が進む一方で、「生産者の顔の見える化」が安全面から進んでいるのが、なんとなく皮肉で興味深いと感じた

・同じように「いのちをもらって食べること」なのに、魚の場合だと、なぜ”おどり食い”や”活け造り”などの調理方法ができるのか?かなり残酷だと思う

・当たり前に対して「なぜ」を問う人類学的な面白さに気づくことができた

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からだと食べもの、私たちをとりまく社会について、広く楽しく考え・感じる「からだのシューレ」。
いつもと違った視点で「常識」や「当たり前」について、一緒に考えてみませんか?

今後のイベントスケジュールはこちらです⬇︎
お申し込み、お待ちしています!

2/13 (水)「恋愛の哲学―なぜ、私たちは恋をして生きるのか」
(19:00〜20:45@東京ウィメンズプラザ 視聴覚室C)
講師:宮野真生子さん(哲学者)参加対象:どなたでも参加費:1000円(前売り)・1500円(当日)  

2/23(土) 「当事者が語る、摂食障害の作り方」
(18:30〜20:30@東京ウィメンズプラザ 第1会議室A)
ゲスト:大貫詩織さん(助産師/過食症経験者)・鈴木真美さん(管理栄養士/拒食症経験者)参加対象:食べることや、体型のことで悩みをお持ちの方参加費:2000円(前売り)・2500円(当日)

3/9(土)「『だって私、かわいくないから』の呪い」ー石川優実×吉野なお トークショー (18:45〜20:30@東京ウィメンズプラザ 視聴覚室A・B)
講師:石川優実さん(女優・ライター)、吉野なお(Nao)さん(プラスサイズモデル・シューレメンバー)参加対象:どなたでも参加費:1000円(前売り)・1500円(当日)

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