ARGONAVIS the Live Stage2 感想

終わった! 観劇したのは東京2/19マチソワ2公演と神戸2/25,26の4公演計6公演でした。
19日の観劇から3公演分あいての25日観劇だったので、格段にパワーアップしててびっくりしました。これが舞台の醍醐味だよね〜。

タイトルにも入っている「目醒め」というワードとREVOLUTIONという曲、今回のめちゃくちゃ重要なキーだなと思った。REVOLUTION、"Wake me up"というフレーズを聴いて里塚賢汰は覚醒した。あの時に賢汰が那由多の歌を聴いていなかったとしても那由多は歌い続けていただろうけど、那由多ひとりでは結局のところ自分の理想とする音楽を作り上げることができない。賢汰の覚醒こそがGYROAXIAという「王者の目醒め」だったのだと改めて気付かされる話。
これは賞賛なのだけども那由多の歌を聴いた直後の賢汰の「ミューズだ」というセリフ、とても熱がこもっていて絶妙に気持ち悪かった。1つ前の記事でも書いたのだけど、わたしは目醒めの王者は里塚賢汰の狂気の物語だと思ってる。まあはっきり言って里塚賢汰の旭那由多への執着は常人のそれではないので、端的に言うとおかしいんですよね。ミューズという表現は今や広い意味で使われているので使い方として誤っているわけではないけれども、でもミューズと聞いたら普通は女神が浮かぶわけなんですよね。旭那由多なんて女神なんて言葉とは正反対に位置しているようなものなのに、直感的にミューズだと感じてる時点で多分ぶっとんでるんですよね。旭那由多の歌が良くも悪くも人を狂わせるというか、誰もがそれに取り憑かれるような音なのだということは他の描写からもわかるものの、賢汰はやっぱり飛び抜けてると思う。STORMの歌詞、「目に映る世界全てが輝いた」(だっけ?)なんて普通ラブソングで歌われるもんね。もう人生を狂わせるような恋なんだろうなこれ。那由多の歌を恋人にしてしまった「馬鹿な男」。そんな里塚の狂信と気持ち悪さがたっぷり含まれたセリフでめちゃくちゃ良かったです。毎回気持ち悪いなと思ってました。

ライブシーンのREVOLUTIONの「なあそうだろ?」のところで那由多が賢汰の方を向くのも、「目を閉じたままでいられない」のが那由多だけではなく賢汰もそうであることの表現なのだと思ったし(しっかり賢汰の方を見てる時もあればそうでない時もあったし全公演見てはないので明言はできないけど)、賢汰が那由多に「世界中の人間をファンにしてみせる」と言うところでもBGMがREVOLUTIONだったので、那由多の起こす革命の立役者は賢汰なのだと強調されているように感じた。

那由多が練習に現れず賢汰が内心焦りを見せるシーン、面白いのが賢汰は「ここで終わってしまうのか?」と思うところですよね。このセリフ、賢汰のエゴを感じて好きです。原作にはなかったような気がする(パラパラ読み返しただけなので見落としてたらすみません)。もちろんセリフになっていないだけで賢汰の心の中では那由多への純粋な心配もあったかもしれないけど、舞台でのこの表現だと「自分の描いた夢が僅かなミスで終わってしまうかもしれない恐怖」という捉え方になると思うしそれを狙ってるのかと思ってはいるんですけど。深幸のセリフで「那由多の歌以外替えのきく道具としか思ってない」ってところがあったけども、見方を変えれば賢汰にとって那由多の歌は自分の夢を叶える最重要ピースではあるもののあくまで執着してるのは「那由多の歌」であって「那由多自身」ではないので、たとえば賢汰が那由多を凌駕する運命の歌と再び出会うことがあれば那由多のことだって捨てられるのだろうなと思った。まあ那由多を凌駕する運命の歌なんてないでしょうけどね絶対王者なので(オタク目線)

真一くんのお芝居があってこそ、里塚賢汰の解像度の上がる物語だったなと思った。最後の挨拶でも、真一くんは本当に舞台という場所を愛する舞台役者なんだなあとしみじみ感じた。賢汰ってクールな参謀役みたいな印象を持たれがちな気がするけど、その実めちゃくちゃやべーヤツだぞというのをたっぷり突きつけられて最高でしたね。

REVOLUTIONの時は那由多さんが賢汰の方向いたりしてたけど、Existenceの時は礼音くんのこと見定めるような目で見てたね。通常のライブ時とは違う、舞台上だからこその"ライブ中の芝居"がとても良かった。(尚、推しさんのことしか見れてません、視界増殖させたい)MANIFESTOはストーリー上初披露時のライブなのだろうなということもあって、リアルライブでの初披露時のセルフオマージュか? とちょっと思ったりもしたのだけど、まあそれは火花散ルでもやってるし、セルフオマージュってほどではないか……? 恐らくというか前にもそんな話を何かの折に聞いたことがある気がするので、これは必ずやるって決めてる動きとその時々で変えてる動きはあるんだろうなとは思って。でも、ツアーの時とかと比べるとこれ毎回やってるなみたいな動きが多かった気がするので、意味を持たせている動きが多かったのかなというように感じてる。

今回本当にFreestyleが最高すぎたんですよね〜………… 摩周さんのレーベルからデビューすることになったGYROAXIAの覚悟の1曲、現実にメジャーデビューをした表題であるFreestyleでストーリーとリアルがリンクして厚みが増して。
わたしFreestyleのMVを初めて見た時から「独りで生きていたいの 誰も邪魔できないの」のところの喉元に手をやる動きが超〜〜〜好きなんですけど。これはわたしのこじつけ解釈ですが、ストーリーを踏まえてこれを見ると、喘息という病にだって邪魔はさせないっていう意味のようにも見えるな〜とか思いました。
「見たか! これがGYROAXIAだ、旭那由多だ!」という叫ぶところ本当に好き。あのセリフの熱量を余さず受け取りたくてあの瞬間はペンライトを振るのもやめて集中してた。そこからのラスサビは強烈だったけど、前楽の時に前日の公演よりもさらに段階が上がったように感じて、まばたきしたくねえ〜!って思いながら食い入るように見てました。もうこれ最後みたいな勢いだなって思ってたら、カテコでそんな感じのことを話されていたので受け取る自分のアンテナがちゃんと機能していたことに安心しましたね。で、ちゃんと大楽で超えてくるんですよね。当然彼らも積み重ねた分だけのものをぶつけてくるし、わたしたちも「もうこれで本当に終わりなんだ」という気持ちで臨んでるので受け取れるキャパシティが広くなったりとかアンテナの感度が高まったりするからこそで、それが真一くんも言うところの舞台でこそ得られるものなのかもという気がします。ツアーファイナルとかも似たような気持ちではあったけど、ライブの客席と舞台の客席ではやはり臨み方が違うので。

いや〜まさに「Killer Stage」でしたね(上手いこと言った風)
冒頭突きつけられる「Killer Stage」というこの楽曲をどう受け取るか、自分なりに歌詞を何度も読んで考えていたのですが。
結局のところ那由多はいつも同じようなことを違う言葉を使って異なるメロディーに載せて歌っているので、この曲も「おとぎ話なんてくだらない」「自分の道を進め」そんなメッセージ。不確かなものは要らない、ただ目の前の道を進むだけ。旭那由多は何度も何度もそんな思いを歌い続けることで、自分を信じ続けているのだろうなと思う。でも茨の道を裸足で行くということは足は傷だらけのはずだし痛いはずで、旭那由多は無敵じゃなくてちゃんとボロボロになりながら進んでいる、同じ人間なんだと感じさせてくれるのが好きですね。

既にここまでで3000字以上書いてしまって疲れてきたので、まとめとして書きたいことだけ。

Argonavisの「スタートライン」回を重ねるごとに泣けた。ライブの時にも思うけど、この先もずっと彼らがステージに立ち続けられるよう、立ち続けてくれるように願うばかりで。劇中のセリフで「お客さんも乗せて航海してる」というようなことを蓮くんが言っていたけど、どうしたってファンがついてこなきゃ続かないものだから、ファンの思いと彼らの思いが共鳴して初めて夢の続きが見られるわけなので。「スタートライン」はArgonavisが出会ったたくさんの人たちのこともひっくるめて書かれた曲なのだろうなと感じるので、めちゃくちゃじーんときてしまうんですよね。

大楽の本当に1番最後、センターのお立ち台に立って客席を見つめる仁くんの表情を見て、また忘れたくない思い出が増えたなあと思いました。

これ以上書くと雑な感想しか書けなさそうなのでやめます。
ナビステ2、最高でした。

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