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僕はビーチボーイズに実践を教わった。

「ラブ&マーシー」を観る。
滅多に映画を観に行かない僕ではあるが、これはリアルタイムで「映画館」でちゃんと観なければならない、と思った。1988年に僕を救ってくれた人の映画だからだ。
内容を端的に言うと「自叙伝の反証」だと思った。そしてラヴ・ストーリー。いろんなことの点と線が繋がり、そういうことだったのか、と改めて確信する、という内容だった。
元ネタを忠実に再現してる点については、あまりにどれも自然すぎて逆に何も感じなかった。そういうことに喜べるほど、自分は若くもなくなったのだなあ、と感慨深かった(コレクター時代に集め、数えきれないくらい観た大量の動画が今も手元にあります)。そしてやっぱり音楽とは愛だなと思った(ココは若いw)。

6年ほど前、自分のラジオ番組で5週に渡り、マニアックなビーチ・ボーイズ特集をやった。その時の自分の書いた解説が、濃すぎるくらい瑞々しいので、以下、コチラに転載する。


★いつ聴いても初期の名曲群は鳥肌が立つくらいの瑞々しさだし、スマイルの「オモチャ箱」感はいつ聴いてもウキウキするし、その後の不遇時代だって、基礎体力というか潜在能力の凄さで安定性(ヒットしたものに限るが)を再確認したし、復活後はやっぱり涙だった。そして問答無用のブルースジョンストン。なんと素晴らしい特集だったか。感謝したいね、ほんと。

最近自分のアルバム「FUSEKI」がリリースされた関係上、インタビューなどされることが多くなって、それで自分のルーツなどを改めて語る機会が増えた。語る機会が増えたって事は、自分でもう一度考える機会が出来たと言うことで、最近のこの番組の特集は、そういう面も反映されてる気がするね。

僕がビートルズの多大な影響下にあることは誰もがご存じと思うけど、ビートルズに出会う前の僕(極めて幼少だったけど)は、父の買ってきたサウンドトラックやポピュラー大全集みたいなレコードを聴いて過ごした。そうして、知らないうちに「スタンダード」としての進行やメロディ展開を身体に染みこませたと思う。また、いつか特集したいけど、セサミストリートとの出会いもかなり大きくて、そこでもコンポジションというものの基本形はしっかり教わったと思う。その後、中2病になりビートルズにハマって以降は十何年ロック一辺倒だった。そこでプログレやZeppelinと出会い、今の僕のミックスやバンドアンサンブルの作り方の基本をつかんだ気がする。

そうしてビーチボーイズ。僕が出会った最後の大物アーティスト。彼らを聞き始めたときの僕はドラマーだった。しかし本当は、自分の曲を自分で歌いたい、という希望がずーっとあって、でもどうしていいのか方法論とかまったく判らなかった。そんな欲求不満がピークだった頃に、僕はビーチボーイズと出会った。聴き始めは恐る恐るだったけど、リリース当時不評と言われるペットサウンズを「初回から完全に理解できた」ことと、スマイルの面白さが理解できたということをきっかけに、怒濤のように聞きまくりマニアになった。そして全曲を知ることになったが、前の記事で書いたように、もちろん今でも、パーティの破天荒さこそが僕のバイブルだ。

そんな時が過ぎ、遂に僕は「ビーチボーイズの曲を弾いて歌ってみたい!」と思うようになる。しかし譜面もないしどうすればいいかわからない。でも他人の手は借りたくなかった。出来る唯一の手段は耳コピでしょう。耳コピしかない。自力でやるしかない、と。

コピーの1曲目は迷わず「神のみぞ知る」を選択した。ピアノの前に座り、出だしから音を取り始めた。…すごかった。コードが上下分離しててなんだか全然判らなかった。ライブ音源やカラオケ、ブートレグのギター伴奏など、様々な音源を駆使して、ともかく構成音の全てを掴もうと必死に聞き続けた。

昼頃に始めた作業が、いつの間にか部屋も暗くなり、夕方になってた。やっと終わった。僕の目の前には、自分しか判らないような、構成音とコードの暗号表。僕はやった。やったんだ!と思った。

その後僕は続けて、「素敵じゃないか」「キャロラインノー」「サーフズアップ」の耳コピに取りかかり、数日かけて全てを終わらせた。それらの作業が終わったとき、僕の音楽の聴き方が、それまでとまったく変わったことに気づく。僕は新しい扉を開いたのだ。

その後、僕は曲作りのノウハウを掴み、どんどん作曲するようになった。自分の声や歌い方にコンプレックスはあったけど、楽曲自体が優れたものならば、そのオリジナルを歌うオリジナルシンガーであれば、唯一無二になれるのだと気づいた。そうして僕は「ミュージシャン」から「アーティスト」というものになったのだ。

今あなたにとってビーチボーイズはどういう存在ですか、と尋ねられたら、実践を教えてくれた先生です、僕が作曲し歌うようになれたのは、彼らのおかげなのです、と言うだろう。僕の音に関する色彩感覚は、すべて彼らにもらったものだ。彼らのおかげで僕は、彼らと同じ土俵の末席に収まることができたのだ。

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