「誰の為の」生き餌なのか

先日、このようなニュースが流れてきた(後半を読むには有料なので注意)。

生き餌としてウサギやハムスターなどを与えて、それを動画として公開した人が、虐待の疑いで告訴されたという内容だ。この問題を発端として、生き餌を否定することだけはやめてほしいと願っている。ただ、僕としてはこの動画投稿者を肯定することはできない。というのも、飼育している生きものに対して生き餌を与える時に考えるべきことを無視しているからだ。生き餌は確かに生きものの命を奪うことであり、生きものの命を守ることでもある。あくまで今回は、釣りなどで行う生き餌ではなく、生きものを飼育する際に行う生き餌を主軸として考えている。その点はご了承して頂きたい。

生き餌を与えるメリットとは

まずは、どうして生き餌を与えることが行われるのか、そのメリットをきちんと考察したい。生き餌を行う際には主に以下の点が重要視される。

1:新鮮な餌が入手しにくいため
2:飼育している生きものが生きている状態でないと餌を食べないため
3:飼育している生きものの捕食にかける時間を増やすため
4:飼育している生きものに対し、希少な栄養素を摂取しやすくするため

例として、少し前のハリネズミ飼育者においては、合成飼料が流通しておらず、コオロギやミルワームなどの虫を与えるということが多かった。もちろん、その中で生き餌という場合もあっただろうと推測できる。今はハリネズミ専用の飼料が流通しているが、飼料が確保しにくい場合は自力で確保する手段として、飼料となる生きものを飼育して与えるという場合もある。

また、爬虫類飼育においてこの傾向が強いが、生きている状態や動きのある状態でなければ捕食しない生きものを飼育しているため、生き餌を与えるということも多い。これに関しては代用も効きにくいため、飼育者がきちんと考えた上で生き餌を与えるということが多い。

他にも、ストレスが溜まっている個体がいたとして、その際にご馳走として生きた餌を与えると、なかなか食べられないこともあって採食時間が長くなり、異常行動の頻度が減少しやすくなる。これは生き餌ではなくても、ある程度原型を残した餌であればある程度の効果が得られるが、やはり生き餌の方がストレス発散には効果が大きい。

そして、猛禽の場合、少しずつ肉を与えるということもあるけれど、丸ごと与える場合には冷凍したひよこなどを与える場合が多いのであるが、生きものを扱う施設においては生きていたネズミなどを与えることもある。とはいえその場合は生きたまま与えるのではなく、食べられる際に感じる苦痛を与えないようにして提供するということも多い。

さらに、血液や内臓などに含まれているミネラルなどを丸ごと与えることで、不足しがちな栄養素を補わせるということもできる。とはいえ、合成飼料でその点は解消できるようになっており、その点では優先度が低くはなっている。

生き餌のデメリットとは

とはいえ、生きたままの状態で餌を与えるのはリスクも伴う。

1:生きようと暴れることで、飼育している生きものに怪我をさせてしまう恐れがある
2:内臓などを丸ごと与えることで寄生虫や病気に感染するリスクを伴う
3:大量に飼育スペースの中に入れてしまうと、飼育している生きものが逆に襲われるリスクが高い
4:コストがかかる
5:虫などを与える技量が必要

こういった面から、敬遠する人もいる。特に、虫を触れない人の場合は餌を与えることも難しいので、そもそも虫を食べる生きものを飼育することはやめておいた方がいい。虫を触ることも起きうるからこそ、苦痛になるのなら生きものを飼育することはやめておくべきだろう。

もちろんのことだが、餌として生き餌を与える場合は、食べられる側も生きようと必死になる。爪や牙で襲うこともあるだろうし、食べられたとしてもお腹の中で噛み付いてしまうこともあるし、最悪の場合、食べられた後で体内から食いちぎってまでも外へ出ようとすることもあるだろう。そういう場合では生きものの安全を確保できないということもある。

そして、内臓などを丸ごと与えることで、病気になるリスクもある。腸内細菌による感染症や、寄生虫症などを発生させてしまう恐れがある。いくら栄養があるとしても、そのまま与えるのはあまりお勧めできない。そういうこともあり、動物園や水族館では、内臓を取って給餌していることが多い。

さらに、餌となる生きものを飼育することや生きたまま運搬することで、その分だけコストも上乗せされている。安全性を確保しているなら尚更だ。飼育している生きものの健康や安全を守るためには、お金を惜しんではいられないということもあるだろう。けれど、どんな生きものであっても身の丈に合わない数を飼育することだけはやめてほしい。生きものを飼育するのはお金がかかるからこそ、飼わないことも選択肢に加えておくべきである。

生き餌の倫理的な問題

とはいえ、生きものを養う為に他の命を犠牲にすることは、ある意味では命の優先度を決めるという行為になってしまう。それが正しいかどうかは分からないが、それを踏まえて行うべき行為であるとも言える。他にも、哺乳類や鳥類を生きたまま与えることに対して、あまり良い気持ちを抱かない人もいることは事実である。観賞魚などの見た目が重視されている種類を与えることに難色を示す人もいるだろうし、逆に無頓着な人もいるだろう。命を奪う行為を行なって、命を守るということを行なっている以上、他の人との衝突は避けられない問題でもある。

例えば、ネズミの仲間はダメでも魚や虫なら生き餌で与えても気にしない人もいるだろうし、小型鳥類やヒヨコなど与えることを気にしない人もいるだろう。そういう価値観は人それぞれである以上、明確な基準というのは存在しない。だからこそ、倫理的な問題でもあるのだ。

そして、食べられる側にも配慮しなければいけない場合もある。現在では、過度な苦痛を生きものに与えることに対して問題視されることが多い。とはいえ、その基準はまだ曖昧で、虫などに関しては無視されることも多い。価値観のすり合わせがまだ不十分だからこそ発生している問題であるからこそ、他の人の価値観もきちんと理解することと、自分の価値観を絶対視しないことも大切なのではないだろうか

捕食されるということは、その生きものにとってすごくストレスになり、苦痛を伴う。けれど、それをしなければ生きものが生きられない場合が多い。どちらに肩入れするにしても、どちらかが犠牲になるからこそ、常にニュートラルな立場が求められられる。かわいそうだからという理由だけで批判するのではなく、命の在り方を含めて議論すべき問題ではないかと思っている。

あくまで、それに加えて考えておくべきこととして、飼育している生きものの安全性を確保するだけでなく、人的被害を出さないように飼育することが、生きものを飼育する上では大切である。それを無視して生きものを飼育することだけは、倫理的な問題以前の問題だ。たとえコラ画像であっても、人間の子どもを大きな生きものの近くに置いた画像などを投稿することは、生きものを飼育する上でやってはいけない行為でもある。第三者に危険を伴う行為は、飼育する人にも責任が伴う以上、してはいけない。カワイイだけでは済まされないこともあるからこそ、飼育者には責任を伴うのだ。

誰の為に生き餌を与えるのか

そもそもの話としてだが、生き餌を与えることは誰の為に行うのか、きちんと考えるべきではないかと思っている。

基本的な考え方として、生きものを飼育する際には、その生きもののことを優先して考えるべきであるという考え方がある。幸せな暮らしをできるように、できる限り嫌な思いをさせないように、そして他の人にも迷惑をかけないことが最も優先されている。例えばイヌを飼育するときにイヌのためとしてノーリードで飼育するのは、他の人に噛み付くことや突発的に遠くに行ってしまって飼い主の手が届かないところまで行ってしまい、飼育者としての責任が取れないという事態につながりかねない以上、やってはいけないことである。誰かの迷惑にならないようにすることが最優先であり、その上で飼育している生きものの幸せを考えることが大切であるのだ。

その生きものが幸せに暮らすことができるように必要だからこそ生き餌を与えることには反対しない。けれど、命を奪う以上、責任を伴う。無責任な言動を行えば、相応に非難されるだろう。でも、その手段を取らなければいけないという状態は生きものを飼育している以上発生するだろう。だからといって何でも与えるのは良くないが、適切な扱い、例えばできる限り苦痛を伴わないようにするなど、生きもののことを優先して行う給餌としての生き餌であれば、大切な行為であると考えている。

しかしながら、生き餌を与える行為を、命が消える瞬間を楽しむ為に行うという人も少なからず存在する。僕としては、それは生きものを飼育する上では、生きものたちのことをきちんと考えて行なっていないと判断せざるを得ない。奪われる命を見ること自体を目的としている以上、人間優先になっているのだ。はっきり言えば、この動画投稿者は生きものの命を繋ぐ手段として生き餌を与える行為を、自分の加虐性や欲望を満たす目的で行っていて、手段と目的が入れ替わっているのである。それではダメなのだ。

あくまで飼育している側は、その生きもののことを、他の人に迷惑をかけないように配慮しつつ、優先して考えることが求められる。それすらしていない飼育者は、生きものを飼育する能力がないと思っている。それくらいキツい言い方をしなければならないほど、生きものを飼育することは甘くない。飼育できるような能力がないなら、生きものを飼育することはできない。飼育している側として無責任なことは絶対やってはいけないのだ。

生きものの為の生き餌を目指して

生き餌は、やり方を間違わなければ、大切な命を繋ぐ手段である。しかし、それはあくまで飼育している生きもののことをきちんと考えて行うべき行為であり、自分の加虐性や欲望を満たす目的を優先してはいけない。件の動画投稿者は、自分の欲望を満たす目的を優先してしまい、加虐性を煽ったり注目されるようなことをしたりなど、本当に生きもののことを優先して行なっているとは考えられない。

目指すべきは生きものの為の生き餌を行うことであり、自分の欲望を満たすことを優先してはいけない。そんな、生きものの飼育者としては無責任な行動だったからこそ非難されているのである。

生き餌にはリスクも伴う以上、万能ではない。与える生きものが暴れて飼育している生きものを傷つけてしまうこともある。無理に行えば生きものの為にはならないこともあるからこそ、適切に行うべきである。

生きものの虐待とは、自身の加虐性や欲望を満たすことを目的にして行なった残虐な行為であると僕は考えている。食べられてしまう瞬間に発生する苦痛を見ることを楽しむ為に生き餌を行えば、それは生きものの虐待であるといえるのだ。そういう与え方だけは、僕は賛同できない。苦痛を楽しむ為に生き餌を行うのは虐待であるといえる。それだけはきちんとはっきりと述べておきたい。

生き餌はきちんと生きもののことを優先して行なっていれば、大切な行為である。だからこそ、生き餌そのものは悪くない。だからこそ僕は、正当な理由で行なっている生き餌は大切な行為であると声高に主張したい。悪いのは、生き餌を自身の快楽や愉悦目的ににしてしまうことである。そのことをきちんと分けて考えて議論が進むことを切に願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?