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僕がなぜスナネコの規制を求めるようになったのか

実は、僕はスナネコが一番好きな生きものというわけじゃない。どちらかというとアリクイやアルマジロ、ナマケモノなどの中南米に生息する生きものが好きで、生きものたちが彩る生態系に魅力を感じている人だ。生きもの単体で好きというよりも、生物多様性の豊かさが好きで、複数の生きものたちが暮らしている光景そのものが好きという、生きもの好きとしてはちょっと変わった人なんじゃないかなとは思う。別に生きものが仲良く暮らしている姿が好きというわけではなく、生きものたちが、その種類らしく生きている光景が好きなのだ。過度に擬人化された姿は好きじゃないし、ディズニーの擬人化は割と苦手な方だ。今回は、そんな僕がなぜスナネコの規制を求めることにしたのか、それを改めて述べたい。

スナネコとの最初の出会い

僕は最初からスナネコのことをきちんと知っていたわけじゃなかった。スナネコを知っているほど、生きものに詳しいわけでもなかった。そういう僕がスナネコを知るキッカケとなったのは、多くの人同様、「けものフレンズ」によるものだ。僕は小さい頃は生きものが好きだったが、その気持ちを長らく忘れていて、その気持ちを思い出させてくれたということもあり、僕にはどうしても忘れがたいコンテンツでもあるのだ。けれど、そこから別にスナネコが特別好きになったというわけでもない。

むしろ、そこから動物園や水族館という施設のあり方に興味を抱くことにもなったし、様々な生きものを知るということが面白く感じたこともあり、何かの生きものを特別扱いするというようなことはしなかった。じっくり観察するのが好きだからこそ、普段は多くの人が通り過ぎてしまうような生きものに興味があったし、そこから普段来園者がどのように生きものたちを見ているのかといったことにも興味が出てきた。そういうこともあり、僕はスナネコに特別思い入れがあったわけではないのだ。

当時はまだ日本でスナネコが動物園で飼育・展示されていなかったこともあり、映像を探るなどはしていたが、知っていた知識をどう使うかなどは考えもしていなかった。

スナネコがやってきた

けものフレンズのアニメによってスナネコが話題となり、そしてゴールデンタイムの生きもの番組に取り上げられて、それで多くの人にとって「こんな生きものがいたのか」ということに繋がったのだろう。当時は今ほどどうぶつ番組のあり方について考えていたわけでもないし、どう取り上げられているのかもそれほど気にはしていなかった。けれど、わざわざ野生のスナネコに会いに行くという企画をしていったその番組は、割とよく見ていた。恐らく、その前後でようやくスナネコについて多くの人が知る機会を得ただろうし、その魅力に魅せられた人は増えていったのだろうとは思う。けれど当時は、日本では動物園で飼育されていないこともあり、しばらくして忘れ去られていたのだと勝手に思っていた。けれど、現実はそうは甘くなかった。

それからしばらくして、スナネコの輸入が始まってきた。詳しい事情は、当時には全く調べていなかったので分からないけれど、2019年に偽装の輸入許可書を用いて野生個体を国内に持ち込もうとしていた人たちがいるようだ。ちなみに件の番組からはある程度時間は過ぎているので、その番組が影響を与えたのだとはちょっと考えにくい。

そして2020年、ペット市場に流出しそうになった子たちを、動物園が保護することになり、公開されるようになった。国内初ということもあり、多くの注目がされ、そして子どものスナネコが誕生したことで、「カワイイ」と注目されるようになった。けれど、それだけではいけないこともだんだんと目立つようになってきた。

スナネコはペットに向かない、はずなのに

一体どれだけの人が、「カワイイ」、「飼いたい」と言っていたのだろうか。僕は地元の動物園でそういう発言をする人を見かけるたび、うんざりしていた。アイコンにも使っている生きものである、ドールの前でそういうことを言う人が割といたからだ。目立つ色の紙で「特定動物」という張り紙があったのも気になってどういうものなのか調べてみたし、そこから特定動物は飼育に制限がかかっていることも知ることができた。ドールの場合は絶滅危惧種ということもあって飼育はできないけれど、ドールでさえそう思う人がいるのだからスナネコではもっと多くの人がいるだろうとは予測が付いた。

ちなみにドールの場合は、展示物の内容に「生息している地域では赤い悪魔と呼ばれて恐れられている」という旨の内容が書かれて以来、「飼いたい」という人は減ったが「怖い」と思う人も増えてしまった。展示物一つでここまで人間の印象が変化するというのも、なかなか興味深い事実ではあると思う。

だからこそ、動物園側としても、展示には気を遣っていたのであろう。にもかかわらず、「カワイイ」という理由だけで、生きものを飼育したいという人が多くなり、そしてペットショップでの取引も行われるようになってしまった。

確かにカワイイを前面に押し出した宣伝も影響していただろうとは思う。けれど、それであっても、「簡単に飼育できる」と思うようなイメージだけは絶対に抱かせてはいけない。

どんな生きものであっても、「簡単に」飼育できるわけじゃない。相応の苦労を抱くのだ。けれど、日本の場合は、「カワイイ」=飼育できるというイメージが根強い。だからこそ、それをなんとしても変えないといけない。そう思って、規制を求めるようにしたのだった。

先走ったことへの後悔と、前に進む覚悟

とはいえ、スナネコをどのように規制するのが良いだろうかと考えて、すぐに思いついたのが「特定動物」というやり方だったのがまずかった。法改正によって愛玩目的での新規の飼育が不可能になったことを知っていたし、イエネコとのハイブリッドも規制される以上、まさに理想としている規制ではあった。だからこそ、それを目指すことにしたのだが、僕は「今現在、生きものを飼育している人」のことが頭に入っていなかったということがまずかったのではないかと思う。もしもスナネコの能力で特定動物入りをしてしまえば、それは他の生きものにも及ぶ。そしてそれは基準となり、規制に進んでしまうことだってあり得る。

だからこそ、危険な手段であったのだ。そして、それを全く認識せずに行おうとした自分としても、間違った認識で進んでしまったことが何よりも先走ったことでのミスであったのではないかと思う。スナネコを保全し規制した方がいいと思う人たちから多くの支持を受けられるようにすべきだったのに、それを最初に提案できなかった自分が、なによりも浅はかで、先のことを見据えずに行動してしまったことが、何よりも嫌な存在だなと思ってしまうこともある。それでも僕は、最善を目指して進むしかないと思っている。間違いは間違いとして認めて、たとえあの世に行くまで詫び続けることになろうとも、最善を目指して進むしかないのだから。

これからに向けて

僕は、もっと多くの人から支持を受けられるように、どんどん意見を提案していかないといけないと思っている。どのように変えていくべきなのか、どの部分を変えてはいけないのか、それらをきちんと考えないといけない。

例えば、これから法律を制定していくことになるとすれば、法学の知識も必要になるし、どういう観点から行うのか、実効性が伴うのか、そういったことを考えなくてはいけない。そして、「僕は個人として活動している」のが強みにも弱みにもなっている。動物愛護団体とも協力する道を選ぶのか、それとも個人として活動を行うのか、そして、新しい団体を結成するのか。そのどれにしても、僕が踏み出したことのない領域になるからこそ、慎重に考えなければいけないが、何かを選び取らなければいけないとは思う。

現状の動物愛護団体は、主に飼育可能なイヌやネコに傾向が偏っていることもあり、どちらかというと環境保護団体という観点からのことであるのかもしれないけれど、だからこそ、複合的な観点から考えることも大切なのではないだろうか。そういうことを、やっていければいいと思っている。

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