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我が身に迫る「介護の空白」

90歳になる母親がいる。

10年前に親父が亡くなってから、母はずっと田舎で一人で暮らしていた。

一人でなんでもこなしていた母も、5年くらい前から食事を作らなくなって、寝てばかりいるようになった。

定年退職なっても秋田に残ることにした、大きな理由がこれだった。


今は、訪問ヘルパーさんに毎日の食事の介助をしてもらって、週一のディサービスを受けている。

毎週末に母宅に行って、1週間(はもたなかったろうが)分の食事を作っていた自分にとって、「介護保険サービス」は“神“的にありがたかった。


年末年始は介護事業者もお休みになるので、その間は毎年自宅(新潟)で過ごしてもらってきた。

それがこのコロナ禍で、他県者との接触をした場合、2週間の待機期間(サービスを受けられない期間)が必要となった。

幸い、今のところはディサービスだけのサービス停止なのだが、状況次第では「訪問サービス停止もあり得る…」とのこと。

訪問介護サービスが無くなれば、母は生活できない…


調べてみると、同様な事態が全国的に広がっているようだ。

新潟では滞在型の老人介護施設で、40人ほどのクラスターが発生している。

コロナで亡くなっている方のほとんどはお年寄りで、お年寄りにはとても危険な「コロナウィルス」であって、介護施設の方々も医療関係者と同様、大変な注意と気苦労があるようで、考え得る全ての対策をされていらっしゃるのは良く理解できる。

それでもだ、サービスを受けれなくなることは家族にとって大変な事態になってくる。

「コロナに感染しないように…」自分だけ気をつけていれば良いのではなく、感染しなくても社会生活を蝕んでいる、“コロナ問題“が我が身に迫ってきている。


「感染拡大防止」と「経済活動の維持」の両立の難しさがクローズアップされているが、「社会生活の維持」すら困難な状況が広がっているようだ。


これってのは、“見えない & 分からない“「恐怖への過剰反応」なのではないだろうか?

毎年この時期になると、介護施設では「インフルエンザ」への対応に大変な注意をして、部外者立ち入り禁止!とする施設なども多くあった。

そこまで注意を払っても、施設内で発生したインフルの集団感染で亡くなる方もおられて、すぐに新聞のトップニュースになる事態は、残念だけども毎年繰り返されてきた。


インフルもコロナもウィルスであって、予防策は同じであって良いのでは? と思ってしまうが、対応の差が出てしまうのは「よく分からないウィルス」なのと、マスコミの「報道の仕方」に少々問題あり! と感じている。

確かにもし、今住む過疎の田舎で自分が「コロナに感染」なんてことになったら、申し訳なくてそこに居られない気持ちになると思うし、そうなって一家で引っ越してしまった事実も実際あるらしい。
コロナそのものより、よっぽど恐ろしい話だ。

だから、
「正しく恐れる」ことが重要!

マスコミの報道など、「本当に?」とクリティカルに見ていくぐらいが丁度いい。

それにしても、
我が身に迫る、「介護の空白」問題をどう乗り越えようか?🤔 思案はつづく…


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せめて、「濃厚接触した場合(限定)」 には「サービス停止!」 とか…

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