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“粗にして野だが卑ではない“ 田舎での生活!

第五代国鉄総裁 、石田禮助の生き方にあこがれる。

最近ではなかなかお目にかかれない、明治に生きた気骨ある男たちにあこがれる。

一旦“楽“を知ってしまった人間は、なかなかそこから“苦労“への逆戻りは難しいだろうし、“安定“した生活から“不安定“な生活へ向かうのも、恐怖だろう。

けれど…
ぬるま湯に浸かったカニさんは、熱湯になっても気づかずに茹でられてしまうが、いきなり熱湯に放り込まれたカニさんは驚いてすぐに逃げ出してしまう…というように人も、
ぬるま湯の生活では茹であがって一貫の終わりとなってしまうかもしれない。😓

便利なばかりの生活では茹であがってしまいますよ!

と、おどかすつもりも無いが、あえて不便な生活に身を置いてみることも、生き方を見直すには必要だったりする。


春になると放っておいても消えてしまう雪を、毎日毎日寄せてはかいて、積もり過ぎては屋根に登って雪を降ろす。

不便で苦労な雪国の生活は、きっと“何か“の役に立つ。

そうして自分を鼓舞して迎える冬に、「今年は小雪であれば良いなぁ」と毎年願う自分がいる。

ああ無情!


あこがれの圧巻は彼の遺言、

○死亡通知を出す必要はない。こちらが死んでしまったのに、第一線で働いている人がやってくる必要はない。気持ちはもう頂いている。
○社葬にはしなくていい。俺は現職ではない。彼らの費用を使うのは、もってのほか。葬式は家族だけで営め。
○香典や花輪は一切断れ。
○祭壇は最高も最低もいやだ。下から二番目ぐらいにせよ。
○坊さんは一人でたくさんだ。
○戒名はなくてもいい。天国で戒名がないからといって差別されることもないだろう。

死を意識した時にはこれを、家族に言い残したいと思っている。

「粗にして野」な田舎での生活で、「卑」ではなく暮らしたい。

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