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コロナ禍での初詣で

今年の初詣では、今まで見たことない風景になりそうだ。

我が家は年初の“密“は避けようと、年明け前にお参りを済ませてしまった。

「ソーシャルディスタンス」をとってお参りするように、神主さんが外でアナウンスを繰り返していた。
神さまの力で、困ったコロナを撃退して欲しいものだ。


結婚式はキリスト教、年末年始は神社、お葬式はお寺でと、海外から見たら全く理解できない信仰心(?)を持っている我が国、日本。

毎年寒い中、2年参りだの初詣でだのと、一年間の「無病息災」「身体健吾」「家内安全」と、いつもはさほど信仰心など無いにもかかわらず、年の初めには手を合わせて頭を下げる国民性には、胸が痛む。自分も含めて嫌味だけど…


家族ができた今は、毎年神社が空いた頃に初詣でする我が家なのだが、田舎に居た小さい頃は、初めて詣でた年の一月に祖父が亡くなって、それからの初詣では自然にしないようになっていた。

田舎の小さな神社の初詣では、雪が降る寒い中を山道の参道を行くことになるので、それをしなくても良いのはありがたい!と幼な心に思っていた、我が家の“しきたり“だった。 罰当たりな“しきたり“だったのだろうけども…


大晦日の年越しの日は、母親がちょっと豪華な料理を作ってくれて、お膳を二つ玄関に置いて玄関入り口を開け、ろうそくに火を灯して「年とり神(じん)さま」に手を合わせるのもしきたりだった。

お膳の料理は男衆が食べることになっていて、自分はお膳のご馳走をいただくが、母と妹はいつも通りの食べ方で食べていた。
妹はよく文句を言わなかったもんだと思う。

当時の田舎には、「男尊女卑」的なしきたりがまだ色濃く残っていたんだろうと思う。

しきたりが無くなってしまって、今はもう「女尊男卑」的な生活様式になっているのは、きっと我が家だけではないだろう… と、思いたい。😓

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