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離れるつもりでの((ika))ツアーだった

有難いことにわたしはTempalayのライブにたくさん行けてる方だとは思っている。
音楽的教養はないから感じ取れるものが雰囲気というか抽象的になってしまうのだけど、たくさんライブに行く程比べる材料が増えてこの曲あの時の方がよかったなとか間違えたなとか今日高音歌わないなとか、逆に裏声でしか歌わないなとか、それぞれ個人プレーみたいだなとか、みんな無に見えるけど楽しいと思ってくれてるのかな?とか本当に余計なこと考えてしまうようになっていた。そして自分が期待していた姿を見せてくれないと少しガッカリしたり、わたしはもっとかっこいいところ知ってるのに悔しいとか訳わかんないこと思って泣いたりしていた。まじで何様だよと思うし誰だよと思うし、いろいろ拗らせて頭おかしいのは分かっている。毎回良かったって言ってる人たちが羨ましくもありなんか違うなと思うこともあった。でも自分の感じたものは自分だけのものだからわたしも間違ってないし、他の人が感じたことも正しいでいいんだよねって思ってるから口に出さないように気をつけてはいるんだけど、なんせ面倒くさい性格してるからぽろっと口から出てきちゃうときもあって、まわりの雰囲気壊したなって思って反省することもあって、いつもご飯行ってくれたりたくさん話してくれたりする友達たちよくわたしのこと嫌にならないなと思うし、まあもしかしたら嫌なのかもしれないけどライブ行けば自動的に会ってしまうからって人もいるよね、ごめんね。

こうツラツラ書いてるようなことマーゴフェスでさらに強く思うようになってしまって…好きで楽しい幸せと思えなくなったら一度離れるべきなんじゃないかって思いながら行った目撃者で冬山やってくれて、そのあとすぐの弾き語りで訳わからないくらい泣いてしまって、もうどうするのがいいのだろうと自問自答しながら今回のツアーが始まった。なつきさんのスレッズの件がさらに追い討ちをかけてこれで終わりかもと思っていた。

わたしがライブに行かなくなっても何も変わらないし気付かれもしないし、ツアーはとりあえず行ってその後のことは終わってから考えようって思ってたのが本音で…

でも高松のライブが本当にあったかくて間違えたとかどうでも良くていい演奏で、今まで変なフィルター掛けて素直に見れてなかったのは自分で、頭でっかちになってたなと思った。それこそ本当に呪いのようだった。見る側の気持ちもライブの見え方に関係してくると思うのだけど、もしかしたら精一杯楽しもうという気持ちがわたしにはなかったのかもしれない。斜め上からフィルター越しにしか見えてなかったのかもしれない。とても傲慢な見方をしていたこと反省した。

この5年半Tempalayを聴かなかった日は1日たりともないし、頭おかしいくらいいつでも想ってるし、本当こんなに好きなものに出会えたことはステキなことだし、素敵なまま生きてゆけたらいいなと思った。ステキって素の敵と書くけどどうしたって敵わないことを素敵と呼ぶんだなと思った。残りのツアー素直に楽しい気持ちで行って見て感じて、武道館も楽しみだなと思えた!このタイミングでなつきさんとエイミーちゃんの個人インタビュー読めたのも整理がついた。ありがとう!

そして勝手に人生救われちゃった話を読み返して好きになったときのこと思い出した。今があるのは本当にTempalayのおかげです。
ありがとう、これからもよろしくお願いします。ライトでポップな面倒くさくないファンを目指します

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