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「ムカつき」が消える⁉

さて、皆さん。
今年からは、さっそく、実践編に突入したいと思っております。

まず、「ムカつき」について。ですが、皆さんは、どのように対応していますか?
あの感情ほど、イヤなものはないのではないでしょうか?
この世の多くの方々が、この感情に振り回されていると思います。

私もその中の一人でした。また、このムカつきが嫌で、なるべくそう思わないように誤魔化したり、相手の事を良いように思ったり、または、自分に非があったのだと思うようにしたところ、ますますムカつきが襲ってきていました。

この感情が消えるには、時間が過ぎるしかありませんでした。いつのまにか消えているのです。ですが、また同じムカつく出来事がやってきます。

それは家族だったり、職場だったりと、様々ですが、消えることはないのではないでしょうか?

それが、一瞬で消える方法があるのです。

それこそが「自分を知る」ことなのです。

どういうことかというと、まず、ムカついている相手がしている事も、相手からされる事も、すべて自分がしていることだと、気づいていないからムカつくのです。

「自分ではなく、相手が悪い、おかしいのだ」と思って勘違いしているからムカつくのです。

実は、自分が同じようにしています。もちろん、行動は違っていても、中身は同じです。

例えば、家族から、ガミガミ言われたことにムカついたとします。ここで大事なことは、この出来事に対して、自分は「どんな事にムカついているのか?」を明確にしなければ、ムカついた原因にたどり着けません。

私は父から「怒られる。ガミガミ言われる。いつも否定される。」と思っていました。それは大きな勘違いであり、犯人は自分だったと、あとから気づくことになるのですが、自分の経験談としてお伝えしましょう。

父から「カピバラは、いつもこうしてるだろう!」と内容は様々で忘れましたが、こう言われる時は、無性に腹が立ち、自分が攻撃したくなり、言い返していました。

それは「お父さんは、私の事を何も、分かってない!いつも、頭ごなしに怒ってくるばかりだ!」

と、怒りと悲しみも入り混じる感情になり、その日からずっとブルーな感情に包まれ、面白くなく、イヤな気分が続きます。

また父に対しての嫌悪感と共に、なぜか申し訳なさも感じながら、怒りのほうが勝ってしまう。

こんな闇に包まれるような感覚は、時が過ぎるしか消えようがなかったのですが、恩師から伝えて頂いたことを、このムカつきが来た時に思い出しました。

「相手の何にムカついたのか?顔か?言い方なのか?その時、どんな感じを受けたのか?自分はどういう風に感じたから、ムカついたのか?それをよく調べてみるんだ。

行動は違っても必ず同じことをやってるぞ。ムカついたのなら、その相手の1,000倍はやってるってことだ。苛立ちは同じくらいのクセでやってるってことだ。」

これについて調べてみました。なぜなら、毎回、起こる出来事だったからです。また、同時に右足に神経性の痛みが突然、発症もしたのです。

この体の症状も、自分のズレや何かのメッセージだと聞いていたので
「やばい、神経性の痛みだ。突然、来たな。これは簡単に戻らない症状だ。そうか、この出来事に関して調べなきゃ、ますます悪化するな」

ということで調べました。

「何にムカついているんだ?顔か?確かに怒った時の顔は最悪だ。でも、まだあるな。なんだ?」

こうやって調べると、言われたことに対して、感情はいくつも反応していたことが分かりました。

私は書き出す方法をとっています。なぜななら、たくさん出るので、覚えられないからです。

【何にムカついたのか?】
・大きな声で言うから
・怒った時の顔が嫌
・人を見下したように言うから
・バカにされたような気がするから
・私の事を分かっていないから
・私の事を全否定してるように感じたから?…。

「う~ん。なんなんだ?何に一番、ムカついてるんだ?」

こんな風に出していき、この中で一番、強く感じるムカつき、自分の感情が揺さぶられるのは、どれかを探しました。

どれもムカつきますが、ランキングがあるのです。この中で私が一番、反応していたものは「私を全否定してる!」という項目でした。

「おぉ、これが一番、ムカついてるぞ。そうだ、全否定されてるから、イヤになって、心が暴れて、そう思われたことに腹を立てて、逆に攻撃していたのは私だったな。」

ここで、一番、ムカついていた原因が判明した後に、疑問が出ます。

「どう、否定されたんだ?いや、本当に全否定されてたっけ?」

ここで、今回の父とのやり取りを思い返します。すると、事実は、否定も一切なく、ただ私がしている行動の事実を、父は的確に言っていただけでした。

そこに、荒げる言い方や、顔の表情だけで、自分が勝手に「全否定されてる!」と勘違いをしていただけでした。

「そうか、お父さんは事実を言ってるだけだった。私が勝手に全てを否定されてると勘違いして、逆切れしていただけだったんだ。私が悪かった。そうか、私のせいだ。あぁ、申し訳なかった!お父さんに謝らなきゃ。」

このとき、生まれて初めて、心から「謝りたい」と思える自分が出たのも驚きました。これが、自分を初めて知った時の感覚だったと思います。

自分を知れば、原因が分かり、まずホッとします。そのあと、自分のせいだと分かると、誰だって謝りたくなります。それが人間です。謝りたくならないのは、まだ100%、自分のせいだったと思い知れていないときは難しいものです。

当時は反発しかしてこなかった私は、初めて素直に謝りたいと思ったのですが、父は怖くもあったので

「だから、言ってるだろう!カピバラは、いつもそうだ!」と、また逆に怒られるのではないかと恐怖でした。でも、謝りたい気持ちが勝ちました。

恐る恐る謝ると

「おぉ、そうや。カピバラはいつも、お父さんが言うと急に怒り出して何も言えなくなってたんや。お父さんは否定してるんじゃない。「カピバラはこうしてるだろう?」と言ってるだけや。良かった。分かってくれて。こちらこそ、分かってくれてありがとう。お父さんも嬉しいわ。」

これに、驚きました。まさか、お礼を言われるとはっ!

バカでお粗末だったのは自分でした。勘違いを何十年もして、父を悩ませ苦しませていたのは自分だったと初めて気づけた瞬間でした。

そのとたんに、安堵し、また自分の勘違いだったと気づいた瞬間に、神経性の痛みが消えました。これにも驚きました。医療に関わっているので、神経性の痛みは時間がかかり、一瞬で消えないことを知っています。

瞬間で消えるなんてことは経験したことはありませんでしたが、実体験に勝るものはありません。ここから本格的に自分を知る道に歩き出しました。

「私は、大きな勘違いをしているかもしれない。先生が言うことが正しいのかもしれない。自分の感じていることは間違っているのかもしれない。調べるしかない。」

と、カッコよく始まればいいのですが、意気込みはありましたが、実践が大変。
ここからが、怒涛のように、自分を知る出来事のオンパレードです。何度、くじけそうになったことか。自分を知るのはイバラの道だったのです。

イヤな自分という「開かずの扉」を自ら開けるしかないのです。もちろん、皆さんも同じく、毎日のように、自分を知る為の出来事ばかりが起こっているのです。

大殺界とか、厄年とか、全く関係なく、毎日、自分を知る為に生きているのです。ムカつく出来事から逃れられたことはあるでしょうか?

お酒を飲む、遊園地に行く、美味しいものを食べ、彼氏、友人、家族と過ごして発散する。

よ~く考えてみてください。発散できたでしょうか?また発散は出来ても、解決はしないのではないでしょうか?

さらに、よ~く思い返してみてください。その発散するべく、彼氏、友人、家族こそが、ムカつく原因になったりしていないでしょうか?そこで新たなストレスを増やして帰って来てはいないでしょうか?

私は、そうでした。ストレス発散を、やり倒しましたが、さらなるストレス増加になって帰って来ていました。だから食べる。飲む。寝る。

すると、太る…。

このストレス増加システムに、まんまとはまって、何十年も生きてきました。そろそろ、おバカだと気づかなければならない年だったのに気づきませんでした。

恩師に出逢えたおかげで、そのストレス増加の沼から、抜け出ることが出来ました。あのままだったら、今頃は病気で、仕事も出来ずに終わるだけの不幸の末路でしかなかったでしょう。

今、考えただけでも、ゾッとします。自分を知ると、一瞬で、そのムカつきが消えます。自分がしていると分かると驚きますが、ひどすぎて笑いまで出てきます。

自分が笑えるところまで来ると、沼から抜けたなという証拠にもなるでしょう。

色んな方々とお会いしますが、70代を超えても、家族と喧嘩をしたり、悪口ばかりで、すごい形相になっている方もいらっしゃいます。

それを見るたびに、「自分で良かった。自分を知れて良かった。あの世界から抜けて良かった。」

と胸をなでおろします。あの当時、父への見方もまるで違った捉え方と、人を決めつけて生きていました。自分を調べていくうち、父や母の演技も見破れたので、私の前で両親は、もう演技をしなくなりました。

クセは完全に消えないので、もちろん両親ならではのクセは残っていますが、ほとんどムカつきはなくなりました。この解放感はあり得ない感覚だと思っています。

父はガンコ親父、強烈亭主関白の代表のような方でしたが、演技でした。それは、私の姿だと分かると本来の姿を現してくださっています。

父は謙虚で思慮深く、本当に優しい、優しさの塊のような方だと知れました。そして、事実を的確に言い、繊細な心の持ち主でした。

当時の父とは、まるで真逆です。母も同様です。大ボケ丸出し役の母でしたが、実はとても聡明で、心の広い大海原のような方でした。

母もかなりのことをやってくださいました。また、機会がある時に、軌跡はお伝えいたします。

本来は、自分が亡くなり、本来の場所へ帰ったのちに分かる種明かしを、生きているうちに気づけ、生きながらにして彼らの素性を知れ、彼らの凄さと優しさを体感でき、感謝を伝えられる喜びがあります。

数十年前、恩師に出逢えていなかったら、この奇跡を体験できませんでした。そして、皆さんに、この仕組みを伝えることも出来ずに終わり、後悔の嵐になったことでしょう。

すると、またやり直したい!となるでしょうが、ドラマのように上手くいくでしょうか?さらにひどくなって終わるのではないでしょうか?

なぜなら、記憶をなくし、また一からやり直しです。これが輪廻のルールであり、ゲームだからです。

どうなるかが分かって降りたら、それこそ八百長ですし、経験になりませんもんね。楽しくもないです。

ドラマのおかげで、「記憶をなくすというのは画期的なアイデアだったんだな」と納得できました。

さぁ、新時代が始まりました。輪廻の仕組みがどんどん解明されてきそうです。

このお話が、少しでも気になったあなた!

凄いですね~。偶然はありませんもんね。全ては必然ですもんね。

私も、恩師に出逢えたのは必然でした。出逢わせてくださったことに感謝しかありませんが、掴んだのは自分です。

最悪な人間性になっていたからこそ出逢えたし、つかめたし、実践しました。その数十年前の自分に感謝です。

「よく、頑張ったね。よく掴んだね。あの時、先生についていってくれてありがとう。バカになってくれたおかげだよ。今は苦しくても、自分を信じて走ってね。必ず、開けるから。」

と、声をかけたいです。誰に認められなくてもいいのだと、自分を知れたからこそ思えるようになりました。

『その時の出逢いが、人生を根底から変えることがある。よき出逢いを』

この「相田みつを」さんの詩は、恩師に出逢う前から、私の希望のようにしていた詩でした。

「いつか、必ず、出逢えるはずだ!」と思って探していました。夢は叶うものです。そして、行動した通りの結果になるのだと分かりました。

このブログが、皆さんの、その出逢いのキッカケになればいいな。なんて思ったりしています。

どうぞ、よい出逢いを。皆さんの今後が、喜びと楽しさで一杯になりますように。

それではまた、お会いする日まで。

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