和えるってこと

好きを叫んで生きている。

これだけは言い切れそうな気がする。

どの媒体で書いたり話したりしていても、根本は同じだ。対象は紹介しているバンドだったり本だったり作家だったり演者だったりリアルで付き合っている友達だったりするけれど、なぜ好きなのか語るのが好きだ。どうやら得意でもあるらしい。

生きてきて何度も言われたのは
《あなたは触媒なのね》
ってこと。
居場所や仕事や世代、住んでる場所や性別を超えてくっつける存在。合うとか合わないとかは当人同士が判断すれば良くて、とりあえずの入り口まではつなげる。私がそんなに好きなその人ってどんな感じ? ちょっとかじってみようかな、なんて思ってくれるやつ。

私は今ミクチャで配信をしながら、monogatary.comで書いている。
今までのつながりはポッドキャストやニコ生やツイキャスやYouTubeに残っていて、その人たちも両方のサイトのアカウントを作ってくれつつある。今日もミクチャの新しいフォロワーのところにニコ生のお友達を見つけた。YouTuberでもある彼がミクチャに殴り込んでくれたら絶対に楽しいんだよな。わくわくする。別媒体で知り合った人が物語を投稿してくれたり、それを好きな作家さんが読んで交流が生まれたりもしている。そういうのを見かけると一瞬息が止まる。好きな人がこっち向いて笑ってくれたみたいな気持ちになる。あ、今のもう一回見たい……何度も見たらキュン死しそうだけど。

この《嬉しい》だってわーわー叫びたい。君たち最高だよ! すっき!! いつもありがとう!

恋は駆け引きだとか言うけど。
あまり好き好き言わない方が言葉の重みが出るとか言うけど。
つい言っちゃわないのかな。かっこいいとかかわいいとか。美味しいっていうのと同じでさ、褒めたほうが良くない?
別にそんなにあなたにハマってませんよ? 勘違いしないでね! 好きなのはあなたの方なんだから!
とかそういう風にしたいの?
好きとか楽しいとか言われたら嬉しくなるけど、だから相手より自分の立場が上だとはなれない。なんならずっと負けてたい。だってだって、好きなライブとかそうじゃん。ひゃーって夢中でステージに釘付けになるの、幸せじゃん。

去年の今頃さ、好きが行方不明になってたんだよね。全てを無印良品の金木犀andネロリの入浴剤に込めてぶつけた覚えがある。今年も入浴剤を入れたお風呂に漬かりながら好きについて考えてるのはちょっと良い。もう好きなんて言わないよとか自分の身を守るよりずっと良い。これからも私は好きと好きを和えて、美味しく幸せに生きたい。

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