筑前煮

お魚が好きだ。

母はカレイの煮付け。父はイトヨリの塩焼きが好きだった。筑前煮とおでんと酢豚だけ丁寧にしっかり作る母は、他の料理はからっきしだった。父母ともに《男子厨房に入るべからず》をかっこいいと思っていたから父が料理するところも見たことがない。だから両親から料理の基礎を教わったことはなかった。
そんな私に家族はガンガン料理のリクエストをしてきた。小学生だったけれど、作らないとご飯がなくなるから作った。煮魚なんて今思えば塩辛いだけだったと思う。魚を炊くのにほんだしを入れていたくらい。冷めたらキュッと味が入るなんて知らなかったから。あのカレイの煮付けを母は最後の最後までリクエストしてきていた。今ならきちんと作れるのになぁ。子持ちカレイが好きだった彼女の命日はもうすぐだ。

ある年の年末、実家に呼び出された。
「伝授します」と高らかに宣言された目の前には大量の材料があった。年末になると死ぬほど大きな鍋に三回筑前煮を炊くのだ。ご近所さんはお重を持ってきて、そこに詰めて返すのが習慣だった。うちの中でもたくさん食べるから、筑前煮の追加制作も当たり前だった。その作り方を私に伝えるという。「家族だから」と言われた。ならば伝えるべきはもう一人いる。姉だ。年功序列の男尊女卑家庭を推し進めた結果、姉は調理の助手を免除されてきた。だから今更無理だと思ったらしい。なんでやねん。実子にはきちんと残すべきことだったではないのかななんて今でも思う。私は養女だ。

干ししいたけの戻し方は、考えてみると微妙に間違えていた。彼女も親に料理を教われる環境ではなかったらしい。九州の家庭の嫁として押さえておきたいメニューだったんだろう。大分県民らしくしいたけは常にストックされている。鶏としいたけ。両方メインなんだから。

大根は面取りしない。だけど下茹ではする。筑前煮の下処理は下茹で祭りだ。里芋は塩ずりしてから下茹で。こんにゃくは切れ目を入れてくるりんして下茹で。ごぼうと蓮は酢水に漬けてアク抜きする。前の晩から鍋の水に入れておいた昆布を取り出したら鶏肉を入れる。水炊き形式で水から炊く。人参はお花の形に抜いて、隅っこはお雑煮用にする。《炊き合わせ》ならつやつやになるまでコトコトするけれど、実家のやつはとにかく大量だからそこまでしなかった。

母はカレーが作れなかった。鍋にぶつ切りにした野菜と肉を入れて水を注ぎ、ひと煮立ちしたらルウを溶かした。まったく火が通ってない野菜と肉。ルウの箱の裏側を見れば誰だってカレーなんか作れるだろとみんな言うけれど、こういう人も実在するのだ。

だけど筑前煮はきちんと炊き合わせる。
調味料はおたまで計る。砂糖も醤油も同じ分量。きちんと思い切った砂糖の量だった。美味しかったから私は今でも筑前煮が好きだ。ひとり暮らしだとあんなにたくさんの種類の野菜は入れられないけれど。一つ一つは少なくても、炊き出しみたいになるからね。

母の命日あたりに花屋に出るミヤコワスレが、彼女のリクエストだ。もし何かあったら、ミヤコワスレを供えてねと彼女は言っていた。年に一週間ほどしか流通しない地味で控えめな花だ。その一週間の中、兄の誕生日に彼女は亡くなった。忘れようがない日付になった。

前回の配信でたまたま「筑前煮食べたいから作ってよ」というコメントをもらった。もちろん実家のようにはいかないが、今年は炊いてみようかな。鶏肉が入ることが最低限の希望らしいから、そうしようと思う。陰膳として成立するといいな。

魚はどうしようか。カレイの季節ではなさそうだ。あまり食事を共にしなかったから、彼女の好みがいまいち思い出せない。好きなお菓子は思い出せるけれど、私はアレルギーで食べられないのだ。ピーナッツ揚げ。あと梅の香巻き。後者だけでも探してみようか。こんなふうに思い出せたなら、やった方がいい。

供養なんて自己満足だと思う。それでいいとも思う。気持ちは下茹で祭りをしてる時に勝手にこもる。

今日は雨になるらしい。断捨離するみたいに、いろんなものを流してくれるといい。

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