10年勤めた職場を辞める時。

10年続けた職を辞める決意をした。

20歳、就職氷河期で面接に落ちまくり、日雇い派遣でなんとか食いつないでいた私。そんな私をパートとして拾ってくれた。

仕事内容は、倉庫軽作業。福利厚生がしっかりしていて、有休が取れる。シフトも希望がほぼ通る。とても働きやすい職場だった。

パートのお姉さんたちにきつく当たられたりもしたけれど、当時職場で一番若かったこともあり、妹や子どものように可愛がってくれる人も多くいて、とても助けられた。

26歳の時、社員登用試験を受けて合格。社員として現場のパートさんをまとめる仕事に就いた。協力会社と喧嘩したり、別部署とぶつかったりしながらも、やりがいを持って仕事をしていた。当時、23歳で結婚した相手と離婚し、私生活も激変していたが、会社という居場所があることで安心できた。

27歳の春、事務所に配置転換されることとなった。現場での仕事は順調そのもの。青天の霹靂だった。所長から言われた言葉は「現場の人間を越えて上に立つ人間になって欲しい。君ならできると思っている。」

期待に応えなければ。そう感じた。

事務所に配置転換されることで、現場には穴が空くが、その分の人員補充はない。引き続き現場で担当していた部署の面倒を見ながら、事務所で新たな仕事を覚えていくことになった。ついでに1年間続く長い研修も受けることになり、様々な負荷が大きくなっていった。

事務所の雰囲気はあまり良いものとはいえず、現場への文句が飛び交う。

「あいつらはいつもサボっている」

「考えることを放棄している」

実際に現場で育ち、苦労を知っている人間として、その言葉は許せなかった。1日何万歩も歩かされ、重いダンボールを運び、トラブルの度作業は中断し、残業でパートさんの残した仕事をこなす。サボっている暇などない。

忙しさの合間で何か提案しても、面倒そうな顔で受け流される。改善案も事務所の求める「正解」しか受け付けない。現場が創意工夫するスタイルは否定され、事務所主導で何もかも進めてきた経緯を知っている。現場に考えることを放棄させたのはお前たちじゃないか。

しかし、弱い私は言い返せなかった。むしろ、これが正しいやり方なのか、とも思い始めた。上に立つものとして、このやり方が、このマインドが必要なのか。部下の意見には耳を貸さず、全て監視し、コントロール下に置く。まるで奴隷のような扱いだ。こんなのおかしい、働いているのは人間だ。ロボットじゃない。

でも、きっと私の考えが甘いんだ。上に立つのならそのくらい厳しく、嫌な人間にならないと駄目なんだ。そう言い聞かせて言葉を飲み込んだ。




1年後、私は心療内科にいた。胃がおかしいのに、検査結果は異常なし。食べられない、吐き気で眠れない、眠れても吐き気で早朝覚醒、体重は5kg落ちていた。

残業禁止、休日出勤禁止などの業務配慮を受け、働きつづけたが、4ヶ月後会社に行けなくなった。

私は実家に戻り、療養することになった。季節は秋、紅葉の美しさも灰色に見えた。

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それから6ヶ月休職したが、6ヶ月間自責の念に駆られていた私はぼろぼろだった。もう元のように働く自信はなかった。だからといって別の職場に移るのも負荷が大きい。私は短時間のパートとして同じ会社で働く決断をした。

休職前に働いていた職場からほど近い、別の営業所に異動した。業務もまた1から覚え直しだが、突発的な休みも責められることはなく休めた。一緒に働く仲間も優しい。月1でメンタルについての面談も行なってくれた。手厚いサポート体制に感謝し、復帰から1年続けてこられた。

しかし、復帰からちょうど1年、今年の6月頃から体調が優れない日々が多くなっていった。原因は薬の減薬、そして旦那の休職だ。

旦那とは元職場で出会った。社内恋愛を経て私の休職中、結婚した。私のいなくなった職場で働き続けていたが、業務負荷や上司のプレッシャーなどから体調を崩し、私と同じように休職することとなった。

夫婦揃って潰れることになり、会社を責めたい気持ちもあるが、私たちの中にも原因はある。私が旦那に負担をかけてしまったかもしれない。これから私たちはどうなる、生活は、将来への展望は持てるのか…様々な思いが、解決できない悩みが私を襲っていた。

それでも私は、今までより楽な仕事なんだ、短時間で終わる仕事だ、配慮してもらっているんだ、と自分の抱える「つらさ」にフタをしつづけた。

結果、ますますつらさは増幅し、また私は会社を休むこととなった。季節は奇しくも前回と同じ、秋だった。

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休んでいる間、減らしていた薬が復活し、徐々に持ち直してきた。意欲も出てきた。そろそろ働けそうだ。でも…もう戻りたくない気持ちが芽生え始めていた。

頭の中を一旦整理しようと、ノートに今の会社の辛いところを書き出した。小さな事だと見過ごしてきた、蓋をしてきた事を。書き出したら本当に「小さな事だ」と私の脳は判断した。我慢しようと思えばできる、と。

今度はいいところを書き出した。4つほど浮かんだ。眺めていると、そこに書いてあるのは、休みやすいことやメンタルケアしてもらえるといった待遇面だけだった。

社員になった頃感じていた、仕事への情熱ややりがいは、そこにはなかった。

私が会社を辞めない理由は、この状態でも一応雇ってもらえている、その安心感だけだった。

情熱ややりがいがなくても、仕事はできる。お金が必要なら働くことが一番手っ取り早い。様々な働く「つらさ」にお金や家族、生活という蓋をして、働ける人だって世の中には沢山いる。「つらさ」は会社のせいにして、環境や時代のせいにして、やり過ごせばいい。

ここで気づいた。あ、私は会社に甘えているだけだ。所属していることの安心感に甘えているのだ。ここにいれば私は業務負荷で潰れてしまった被害者でいられるのだ。

自分の「つらさ」を見過ごして、黙って働けばお金は入ってくるけれど、自分の抱える「つらさ」ときちんと向き合わなくてどうするのか。また調子を崩して薬で誤魔化して…その繰り返しではないか。

「つらさ」を「小さな事だ」と判断してやり過ごすだけの人生はもうやめよう。きちんと向き合おう。つらいならつらいって言おう。

もっと自分と向き合おう。被害者でいられる環境を変えよう。不満やつらさは外側にあるのではない。私の内側にあるのだ。

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そして私は今日、会社に退職の意思を伝えた。

10年も働かせてくれてありがとう。様々な経験をさせてくれてありがとう。自分のつらさに蓋をしていたことに気づかせてくれてありがとう。所属していることに甘えて、本当に自分のやりたい事にチャレンジする勇気がなかった。そのことに気づかせてくれてありがとう。

頑張ってきた私にも、ありがとう。

思えば10年間、みんなの期待に応えようと、ひたすら頑張ってきた。

今度は自分の為に生きてみようと思う。


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