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「かわいそう」が苦手

こんばんは。

いつもくだらない出来事や考えを、さらっと説明っぽく書いた記事が、私のnoteには多いと思います。

今日は上記のようなパターンで書くことに飽きてきたので、書くスタイルをちょっと変えてみたいなぁと思います。

試しに説明っぽくまとめず、noteを書く際心の中で繰り返す会話の状態のまま、文字にしてみました。


かわいそうという言葉を、かけられることが苦手。

何かと損な役回りを任された時、
せっかく任されたのだから、と、
自分なりに使命感を持って頑張ろうって気持ちになっている。

でも「かわいそう」と言われた瞬間に、
自分は、他人から見てかわいそうな人なんだ、と直面させられる。

「かわいそう」を振り切ろうと頑張るけれど、
頑張れば頑張るほど「かわいそう」が頭をよぎる。
そのまま、心のバランスを崩してしまうことがある。

世の中では、たくさん利益を得る人が尊敬されていたりする。
しかし、その人の利益をつくるため、働いている人たちもたくさんいる。
そういう人たちは搾取されているとか、損をしているとか、かわいそうだねと言ってくる人もいる。

私は働く側の人間だが、働くことと、プライベートのバランスをとって、楽しめているからあまり損を感じていない。
でもかわいそうと言われると、自分は何かの被害者なのかなぁと、ちょっと悲しい気分になる。


結局、「自分の人生はこう生きる」という
「信念」がないから、揺さぶられてしまうんだと思う。

自分はこうありたいから、この選択肢を選んだ。
そう思えたら、「かわいそう」で心が迷うこともないかもしれない。

信念。
自分で決めていいならなんでもありだし、
「信念がないことが信念」もありかもしれないね?
ただし、判断に迷わないための軸として、ある程度はしっかり決めておいたほうがよさそうだ。

今度の休みは信念について考えてみよう。

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