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アイスクリーム願望と母親

まいにち暑いですね、わたしがアイスクリームだったなら、秒で溶けてしまうのでしょう。
いつだったか映画かドラマで人間が昼間に活動できなくなって、みんなが夜型になるという悪夢みたいなストーリーがあった気がするけど、ほんとうにそんな世界になってしまうんじゃないかと震えています。⁣

そんなわたしはわりに地肌が白いことを誇りに思っていて、まいにち浴びるように日焼け止めを塗るのだけれど、それでもこの季節はほんのり焼けたりするから日差しってほんとうに恐ろしい。⁣

幼い頃から色白なわたしは、日焼けをするとすぐにきちんと焼けてしまうというタイプなのだが、高校生になり絶賛ギャル時代へ突入すると、学校帰りに日焼けサロンへ通うようになった。⁣
今思えば何してんねん、と当時一緒に日サロへ通った友だちと2人並べて叱りつけたい気持ちでいっぱいだが、当時のわたしはバイト代も費やして熱心に通った。⁣

…ともなると、母だ。わたしにとって世界でたぶん、一番最恐な母だ。⁣

黙っているはずがない。⁣
昔の“典型的な母親”だった母は、(しかも道産子)日に日に黒くなる娘を怪訝に思っていた。きっと日サロなる施設の存在も、その意味すらも分からなかったのだろうと思う。それでもどこかでわたしが日サロ通いしていることを聞きつけて、とにかくこっぴどく叱られていた。
残念なことにわたしもわたしで高校生だった。
母の言うことなどはそれなりに流す術も身につけ、じょうずに嘘をつけるようにそれはそれは順調に育っていたのだ。

色白のわたしは、しばらく黒いギャルだった。

気を抜いていた頃、おばあちゃんの家で食事をしていたら激昂した母が(黒ギャルの)わたし(正確に言うとわたしの服)を引っ張り、その場にいた全員におっぱいを晒したあと、引きずり、怒鳴り、ほっぺたを叩く、という事件が起きた。
…当然食事会は即刻お開きとなった。あの瞬間のことは容易に思い出されるのに、あの時泣いたか泣かなかったのか、それが思い出せない。一体なにが自分の身に起こったのか、数分の出来事だったはずだけど、よく分からなかったのだと思う。ただ帰りの車中で6つ離れた姉が「ちょっとあれはないわ~」と言った声も父の無言の様子もしっかりと覚えている。⁣

それから、あれだけ熱心に通った日サロへも、それがきっかけだったか興味が薄れたか、すっかり足が遠のき、みるみる白いわたしへ戻っていた。⁣
以来その話しは家族間ではしていない。

もうじき76歳を迎える母に、38歳になったわたしは相変わらずへそ曲がりなむくれた態度を取っている。チッ、娘なんだ、娘でいさせてくれよ、と心で悪態をつく。
娘の部活のバッグに頼まれてもいない日焼け止めをこっそり忍ばせ
「絶対に焼けてくれるな、わたしのDNAを無駄にしないでくれ」と言い、仕事へ出かける夫へ、「日焼けは肌の火傷と知ってのこと?」と問う。息子には「ま、男の子だしね、げんきげんき」と笑う。

わたしのほんの一部の話です。みんながアイスクリームなら、たぶん溶けてしまうでしょう。⁣

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