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ヨガは人

おはようございます。きょうも書いていきます。

文は人なり、という言葉がある。フランスの博物学者ビュフォンの言葉だそうだ。その意味は、文章はその人自身を表わす、というものである。文章に限らず、人の発言や行動のひとつひとつは、その人自身を構成している。

ヨガをやっていると、ヨガも人なりと思うことがしばしばある。人や場所によって全くといっていいほど、考え方や教え方に違いがあるのだ。

街を歩いていると、「ホットヨガ」と大きく書かれた看板を見かけることがある。世間ではヨガ=暑いとか、汗をかくといったイメージが先行している。また昨今のフィットネスブームも手伝い、集団で、テンション高めに、体を激しく動かすのがヨガだと思っている人も少なくない。

それはそれで間違いはないのだが、ヨガは人なり、として考えてみると、たまたまそのジム(や先生)が、そういう趣が好きなのであって、そうでなければいけないということは決してない。独りで、テンション低めに、体を動かさないヨガもあるのである。

プログラムに組みこむとなると、どうしても「やった感」というのが優先される。だから汗をかいたり、筋肉痛になるなど、目に見える結果というのを求めがちだ。来ている会員も、お金を払った分は効果を実感したい、という気持ちになるので、そうなるのは必然ともいえる。

しかし、ヨガの本来の目的は何だろうか。これも人によって答えは異なり、それをすべて許容するのがヨガの魅力ではあるが、共通しているのは「自己を見つめる」ではないだろうか。他人や過去の自分と比較をしない。量的なものとは遠い考えにある。

近年は、欧米の瞑想ブームからはじまり、この領域に資金が集まるようになった。上場やイグジットを目指すとなると、短期的な効率化は避けられないだろう。それもまたヨガの一つの形なのか。いまいちど見つめてみたい。

今日も読んでくださってありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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